24.とある老人の失踪について
パソコンの画面で『You win!(あなたの勝ちです!)』の文字が表示されると同時に急激に気持ちが冷めて、それまで握っていたコントローラーを投げ出した。
FPSゲームの舞台、古き良きガンマンの時代を映していたVRゴーグルを額まで押し上げる。
仮想空間に没入していた視界の飛び込んできたのは白い簡素なアパートの壁。ベッドとデスクとチェアがあるだけの自室。ただの現実。
ああ、なんて夢がない。
「はぁー…」
平日の昼間からPCゲームに耽って、FPSゲームで優勝して…それで何が残るっていうんだか。
ここ数日打ち込んでいた『趣味』といえたものが、自分の中で急激に無価値なものになっていく。
集中しすぎてズキズキする目に目薬を差し、少し気分がスッキリしたところでゲーム用のゴーグルを外し、座り心地のよくないチェアから立ち上がる。ああ、腰が痛い。
ゲーミングノートパソコン並びに一式ならまぁ持ち運べるし、と妥協して購入したけど、チェアはな。場所を取るし。使わないときは邪魔だろうし。体はその方が楽だろうと思いつつも、結局購入しないままだ。
休憩がてら小さなキッチンでカップ麺を用意してお湯を沸かしていると『お手紙が届きました』と日本語音声がした。視線を投げると人型AIの紅葉が日本人形然とした顔でメールの着信を知らせるタブレットを掲げている。
差し出されたタブレットを受け取って、仮想空間を見つめることに慣れすぎた目を凝らす。差出人は……お馴染みの相手だ。
届いた手紙、つまりメールは一回再生されれば自動的に削除される動画が添付されている。本文はなし。
相手の仕事柄、情報漏洩を防ぐため、手書きのパスワードと指紋と声紋認証をクリアしなければ開けないようになっている。「毎度厳重なことで…」その手順はかなり面倒くさいが、仕方がない。
もう使うこともあまりない日本語名の名前を記入し、発音し、人差し指の指紋を認証させる。
プツ、という音のあとにタブレットから立体映像が立ち上がった。『急に悪いね』流暢な標準英語でそう前置いた金髪碧眼の相手は生真面目な眼差しでこちらを見据える。
『仕事を頼みたい。セント・パンクラス駅のスタバで15時に落ち合おう』
それだけ言って映像は途切れ、自動的に削除された。「今何時だっけ?」相手が英語だったこともあり、英語で確認する。この国は英語の国であって日本語はほぼ通じない。『13時37分26秒です』「あと一時間と少しか……」寝ぐせがついたままの髪を撫で、タブレットを紅葉に押し付け、とりあえずは昼食であるカップ麺をすする。
これを食べて、駅までプラプラ、仕事の話をしに出かける、と。
一昨日も昨日もゲームのために引きこもっていたからちょうどいい。そういうことにして、さっさと出かけて仕事をもらってこよう。
洗面所で鏡の前に立ち、イギリス人の代表的な容姿を呼び出して自分に上書きにする。
(今から私はフリーの何でも屋魔術師、Kだ)
雨でも降り出しそうな怪しい雲行きだったので、いつもなら同行させる紅葉には留守番を命じ、降られても平気なノースフェイスのマウンテンパーカーを着てブラブラと駅までの道のりを歩いた。
二日出ていないくらいじゃ、人も街も以前と変わらない。
ヨーロッパの景色が少しこじんまりして大人しくなったような、そんな変わり映えのしない大通りを歩く。立体映像の広告が道のあちらこちらでクルクル回って主張してくるのが鬱陶しい。
とくに何にも興味を惹かれないまま、相変わらず人の多いセント・パンクラス駅の煉瓦の建物に到着。…スタバってどこだっけ?
いつもは同伴する紅葉に訊くところを、仕方なく手持ちの端末で地図を呼び出し検索。立体映像の案内表示に従って鉄のフレームと茶色の煉瓦のコントラストが際立つ構内を歩く。
ヴィクトリア時代のゴシック建築技術の結晶。ロンドンで最も美しい建物。そんなふうに賞賛されるセント・パンクラス駅の天井は太陽光を取り入れるガラス張りとなっているが、今日は今にも雨が降り出しそうなあいにくの天気だから、どこか陰鬱な光しか入ってこない。
人で混み合う構内を歩いていくと、スターバックスの看板の下に立つ見知った顔を見つけた。その手にはコーヒーの紙カップが握られている。
イギリスは紅茶文化の国だと思っていたけど、案外とコーヒーが根付いているというのはコーヒーが飲める年齢になってから気付いたことの一つだ。
片手を挙げて「お待たせー」と標準英語で声をかけると、腕時計を気にしていた相手が顔を上げる。
「遅いぞK。一分の遅刻だ」
「細かい…」
久しぶりの外出だし、いるものは全部帰りに買ってこようと思って冷蔵庫や戸棚をあさって服を選んでいたらいつの間にか時間になっていたってだけだ。約束の時間は確かに過ぎたけど、一分くらいはいいじゃないか。
人で混み合うスタバですでに注文をすませたらしい相手だが、私は人混みの中わざわざ並んで注文する気にもなれず「それで。ご用件は?」さっそく本題を切り出しながらポケットから鏡を取り出す。折り畳みの三面式鏡。それぞれの鏡の像の投影場所を駅のランダムな場所にしてある、疑似的な結界だ。次にポケットから専用のペンを取り出して空気中に『I』を刻んでポケットのルーンとリンクさせる。意味は静止。静寂。
これで二人の姿は駅のランダムな場所に投影され続け、音もお互い以外には聞こえない。
こちらが用意した情報漏洩を防ぐ手段に相手は閉口した。「ご不満?」そういう顔に見えて首を捻る。
相手は口をへの字にしていたけど、それも時間の無駄だと感じたのか、軽く頭を振ると「話を続けよう」とこぼしてシンプルな黒いコートの内側から写真を二枚取り出した。一枚は老人。一枚は少女。
「ブラッド卿は知っているね」
「もちろん」
相手が手にする写真の中の老人は、ゾッとするような昏い瞳でどこか遠い深淵を見つめている。
昨今では呪わしい術に傾倒した魔術師として悪い意味で有名になっている人物だが、かつては人類の希望、生まれついての天才ともてはやされた男だ。
「アーヴァイン・ブラッド。かつては人類の希望とまで呼ばれた魔術師」
「そのとおりだ」
「現在は血術や呪術といった深淵に近しい術を用いる呪術師で、君たちウォッチャーの監視対象。だろう?」
「ああ」
『監視者』…俗にウォッチャーと呼ばれる人類と魔術師の中間を取り持つ組織は、『一般人に害なす魔術師』や『人類に損失を招く魔術師』など、まぁマズいなと思った人物を監視、必要なら対処することを定めとしている。
ここまで保たれてきた世界の均衡をどうにか維持しようという涙ぐましい努力を続けている組織の顔である相手は、見事な金髪を鬱陶しそうに手でかきあげた。整った顔立ちの眉間に皺を寄せている。
その表情から見るに、続く言葉は明るいものにはならないだろうと予想はできる。
「そのブラッド卿が、消えたそうだ」
「消えたぁ?」
明るい話ではないだろうと思ったけど、素っ頓狂な声が出た。
消えた。監視、場合によっては対処が仕事のウォッチャーの目をすり抜けて、消えた? ご老体の彼が? そんな馬鹿な。
実働隊のリーダーである彼女は眉根を寄せた顔のまま少女が写った写真の方を顎で示す。「卿にとっての孫にあたるリリー・ブラッドが消えたのはさらに一週間前。そちらの行方もわからぬまま、今度は卿自身が消えた…。ウォッチャーにとっては痛手だ」重苦しい声の彼女の心労は相当なものなのだろう。よく見れば整った顔の目元にはクマが目立つし、肌にも生気がない。
思い出したように手にしたコーヒーをすすり深く息を吐いた彼女の依頼内容はもう察しがついた。
孫娘であるリリー・ブラッドの行方が知れないのも気がかりだが、それよりも急務なのは卿の行方だ。
かつての天才は、天才故に、独自の呪術を次々と編み出した。
そればかりか、生み出した術をその素質がない人間にも埋め込み、使役させている。
卿の『呪い』を媒介に人を呪う術を得た人間がどれだけいたのか、きちんと数えたことはないが、ざっと三桁は超えているだろう。
ただし、卿の網にかかった人間は身から出た錆というか、自業自得というか、被害者と呼ぶにはいかがなものかと思う素性の人間も多く………だからこそ表立っては動かず、ウォッチャーが密かに卿を監視し、『魔術師として看過できない』そのときに介入する機会を窺っていたわけだが。ウォッチャーの監視も虚しく卿は姿を消し、フリーの魔術師である私に仕事として話が舞い込んできた、と。
彼が大人しく隠居したのならそれでもいい。
だが、そうでないのなら……もし何か大掛かりなことを企んでいるのなら。ウォッチャーにとって、それは未然に防ぎたいこととイコールになるだろう。
「私に、卿を捜し出せ、と?」
「君も『天才』だ。天才を捜すなら同じ天才を…とね」
肩を竦めた彼女に、こちらを肩を竦めて返す。今のは冗談のつもりだろうか。
彼女は眉間を指で揉みながら「正直なところ、ウォッチャーの仕事は他にも色々とある。ブラッド卿の行方を捜すことに三日を費やしたが成果が出ない。これ以上の人手と時間を割くことはできない…。故に、君に頼みたい」…そうだなぁ。あまり気乗りはしない依頼だけど……。
仕方なく手を伸ばして二枚の写真をつまみ上げる。「呪術師相手に立ち回るわけだから、それなりの報酬が欲しいところだけど?」視線を投げると金髪碧眼の少女は頷いて腕時計型の端末に金額を表示した。五千ポンド。日本円にすると七十万手前、といったところか。
「前金でこれだけ出そう。ブラッド卿の確保、あるいは生死の確認…君の動き次第で追加の報酬も出す」
「へぇ。随分と気前がいいね」
「長年ウォッチャーを悩ませてきた相手だ。卿の問題がこれで解決するなら安いものさ」
ポケットに入っている端末から『入金のお知らせです』と日本語が流れ、立体映像で確認すると、確かに私の口座に五千ポンドが振り込まれている。
これでしばらくはまたのんびり生活できるだけの資金が調達できたわけだけど。その分仕事はしっかりしないとね。
アーヴァイン・ブラッド。かつては人類の希望とまで呼ばれた魔術師。
彼は死んだのか。生きて何かを企んでいるのか。はたまた大人しく隠居したのか。私は彼の虚実を確かめなくてはならない。
「情報収集がてら、ブラッド家には行っても?」
「問題ない。現場の者には伝えておく」
「りょーかい。連絡はいつもの電話ボックスからでいいかな」
「構わないが、情報の管理だけは徹底を頼むよ」
「はいはい。抜かりなく」
ウォッチャーである彼女はとにかく情報漏洩に敏感だ。その辺は依頼者である彼女が満足するようにしなくては。
パチン、と指を鳴らすと周囲に雑踏の音と人の流れが戻ってきた。
役目を終えた鏡とIのルーンをポケットに突っ込む。「じゃあまたそのうちに」駅で知り合いと顔を合わせ、ちょっと雑談をして別れた。そんな気軽さで私は彼女の横を通り過ぎ、彼女はスタバの看板の下で紙コップのコーヒーを空にしてゴミ箱に放り込むと、私とは反対側の駅の出口へと歩き出す。
駅を出ると、思ったとおり、ポツポツと雨が降り出していた。
撥水加工がされているパーカーのフードを被り、濡れた路面を蹴って歩く。
(やることはたくさんあるな。ブラッド卿から魔術、いや呪術か。そちらを学んだ人間でまだ生きている人物の洗い出しと接触。ブラッド家でウォッチャーから情報収集して現場を調査。優先事項は卿の発見、次に孫娘のリリーの行方……)
考えながら歩いていると端末から『お買い物予定地です』と日本語が響いた。「おっと」思考に没頭していたところから顔を上げると、馴染みのスーパーであるテスコ・メトロの前だった。
そうだ、買い物して帰るんだった。家にはもうカップ麺しかないんだ。買い込んでいかないと。
24話め!
ここから新しい章に突入です。これまでとは違う登場人物がチラホラ出てきます
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