12.竜の目のナイト
次に目を覚ましたとき、オレには左目があった。その違和感にまず左目に手をやる。
瞼の上から触れれば、弾力とあたたかさがわかる。
……眼球だ。なくなったはずの眼球がある。
問題なくオレの視界として機能している目…。なんだ、これ。
きれいさっぱり、とはいかないが、充分傷跡を薄くして回復している肩に手をやりながら起き上がると、ベッドの脇に置いたアンティークな椅子の背もたれに背中を預けてノアが寝ていた。「…バカか」オレの世話をしているうちに寝落ちたのか、手にはタオルが握られている。
あたたかいとは言えない気温の中で寝こけているノアに、仕方なく、オレのソファ兼ベッドに転がっているブランケットを掴んでかぶせてやる。
また何日寝たんだろうなぁ、オレは。せっかく戻してた体力と筋力、また振り出しか。
体のぐあいを確認していると、アンティーク扉が開いて、入ってきたのは金髪の女…あの竜だ。相変わらず、人形のように整った顔で、それでいて無表情。
「この目は、お前が?」
訊ねると、金糸を揺らして女の姿の竜が頷く。「わたしの力を込めました。あなたは、あなたの意思で、なんでもすることができるでしょう」「……そんな便利なモン、元敵のオレにやっていいのかよ」呆れ半分でぼやくと、女は不思議そうに首を傾げる。
「その目を通して力を使うには、条件があります。悪いことには使えませんよ」
「条件?」
「はい。『ノアのためになること』……そうでない限り、その目は特別な力を持たない、ただの目です」
は、と呆れ半分感心半分で笑う。
つまり。これが、あのとき話してた『ノアのナイト』になるための力ってことか。
今の話を信じるなら、この目は『発動条件のある魔術』みたいなものなんだろう。それが善の条件ときた。
それで、そんなものを人の体に違和感なく織り込めるんだから、この竜は結構、いや、かなり力のある竜だろう。
人語を理解し扱う。若干不思議ちゃんではあるが、人として当たり障りない行動の範囲もわかっている。
「それで、具体的に、コイツは何ができるんだ」
左目を閉じた瞼の上からなぞると、女は首を傾げた。「それは、あなた次第です」と。
は? と顔を顰めるオレに、竜は言う。「魔法は、使う者の体現です。あなたがノアを守るとき、何を願うかは、わたしにはわかりませんが……きっと良き魔法を見せてくれるでしょう」微笑む女に、オレは閉口した。
良き魔法。
魔法、だって? 魔術ではなく。「手順を踏む必要がない、ってことか。決まりきった口上も、呪文も、いらない?」「はい」「…はぁ」そんな大それた目を、簡単にくれるとは。発動条件がノアに限定されるとはいえ、お前馬鹿か? いや、馬鹿なんだな。そうなんだな。
いたって普通の顔をしている竜に溜息が出る。
この家には馬鹿しかいないのかよ。敵はあの胸糞じじいだぞ。先が思いやられる……。
寝起きの胃にアクエリアスを流し込んでいると、ドタドタと階段を駆け下りる音が聞こえてきた。
竜に起こされたんだろう、慌てた様子で階段を下りてきたノアに「よぉ」と片手を挙げる。「シリル、目…っ」竜から話は聞いてたんだろうが、ノアは歩み寄ってくるとオレの顔を間近で見上げた。近い。
「なんだよ」
「目、見える?」
「見えてるよ。ちゃんと見えてる。問題ない」
しっしと手を振ると、ノアはようやくオレから離れた。安心した、って顔で息を吐いている。
…しかし、異常なくらい、普通の目だな。勝手に動くこともないし、違和感もない。完全に体に馴染んでいる。
試しに右目を閉じて左目だけの視界にしてみたが、違和感らしいものはなかった。
じじいからもらった左目は、たまに勝手に動くし、コンタクトがズレたみたいなゴロゴロした感触が伴ったもんだが。この目は本当に普通だ。
オレが目の調子を確かめていると、ノアがはっと気付いた顔で「ああ、食事。えっと、生姜と野菜のコンソメスープでいいかな。温まるし、消化にいい野菜を使うよ」言いながらキッチンに入っていく。
手伝おうかと思ったが、どうせ座ってろと言われるのがオチなので、勝手にやらせることにした。
長く動いていなかった体のために足から腕まで一通りストレッチをし、ちょっと外の空気でも吸おうと開けっ放しの玄関から外に出る。
大きく息を吸って、吐いて。吸って、吐いて。
ガーデニングが施された庭に囲まれた一軒家の、イギリスにはよくある曇り空を見上げ、平和な鳥の声を聞く。…相変わらず、穏やかな場所だ。
「あら。起きたのね」
声に視線をずらすと、目の前に緑の子供がいた。いつの間に、とは思うが、驚かない。何せコイツは人間じゃない。「おう。また世話かけたな。悪い」「謝るくらいなら怪我しないでちょうだい。治すのだって大変なのよ」眉尻をつり上げる子供に肩を竦めた。オレだって怪我したくてしてるわけじゃない。
子供はじっとオレ…というよりオレの左目を見上げる。「竜様に力をもらったのね?」「そうらしい」まだフツーの目の実感しかないが、この左目は特殊なモノになっている。その目をジロジロ見上げて、満足したのか、子供はなぜか偉そうに腰に手を当ててみせる。
「ご加護をもらったんだから、しっかりやりなさいよ」
「加護、ねぇ…。交換条件みたいなもんだけどな。好きにできるわけじゃない」
「それでも、竜様に力を預けられたのよ。光栄なことだわ」
子供の言葉に肩を竦めて返したとき、強い風が吹いた。煉瓦の壁に立てかけてあったスコップがカランと音を立てて倒れる。
そのまま風で転がりそうな軽いスコップを、子供の手が拾い上げ、なぜか俺に押し付けてくる。
「ここ、ノアが頑張っているの。彼が頑張るから、あたしも力を貸したのよ」
子供はそう言うと、土と肥料、その他もろもろが置いてある庭を指した。
芝生は青々としているし、家庭菜園でも始めるつもりなのか、小さなビニールハウスもある。
そういや、ノアは暇を見つけてはガーデニングの本を読んで、時間を取っては庭いじりをしてたっけ。まだ続けてるのか、アレ。初心者には難しそうなもんだが。あと、面倒そう。
「今は、機械でなんでもできる時代だけど……おじいさんがそうしていたように、彼も自分の手であたしたちの面倒を見ようとしている。失敗しながら、学びながら。
そこが好ましいの。とてもいじらしくて、愛らしい。
最初は、竜様の求めに応じてここに来たんだけど。あたし、ノアのこと嫌いじゃないわ。イマドキ、効率を蹴る人って、なかなかいないのよ」
今はキッチンで調理をしているだろうノアを見通すように家の方を眺めると、子供は踊るようにその場でクルリと回転し、消えた。
随分と、人外に好かれてるんだな、ノアは。あの竜といい、妖精か、精霊か、その辺りだろうあの子供といい。
一週間後。本当にたまたまだったが、左目を使う機会が訪れた。
ノアの食材の買い出しに付き合ってスーパーに同行した帰り道。曲がり角から現れた自転車とノアが衝突しそうになった。
オレの左目が角から現れた自転車を認識した瞬間、体が羽が生えたように軽くなって、このままだと自転車と正面衝突するノアの腕を引いていた。
ぶつかることを覚悟して目を閉じていたノアが、いつまでたってもやってこない衝撃にそろりと目を開けて、どこか間の抜けた顔をする。「あれ…?」「大丈夫か」「あ、うん」ノアに怪我はなさそうだ。急ブレーキをかけた自転車の男の方もノアとぶつからなかったことに驚いているようだった。
(ふぅん…なるほど)
握っていたノアの腕を離す。
荷物も無事のようだし、何より。「行こうぜ」さっさと歩き出すオレに、ノアが慌ててついてくる。
さっきのオレの思考の流れはこうだ。
角から現れた自転車、その進路にいたノア。数瞬で両者はぶつかる。ぶつかれば、ノアが怪我をする可能性がある。なら助ける必要がある。
だが、普通に腕を引いたんじゃ間に合わない。だからこの左目はオレの体に強化の魔術でもかけて、オレが理想通りに動けるようにしたんだろう。
手順も、呪文も、何もいらない。思うだけで発動する。…確かにこれは『魔法』だ。
たとえば、ここでナイフを持った男が現れ、ノアを傷つけようとしたとして。その場合、オレは何もない空間から剣と盾を作り出して対抗することもできるわけだ。
だが、どんなに便利な目でも、限界ってのはあるだろう。与えられた能力以上のことはできないはずだ。それを探る必要もある。いざってときの判断ができるように。
「シリル、さっきの、何?」
「何が」
「だって、絶対ぶつかるって思ったのに」
「間に合ったんだからいいだろ。ぶつかりたかったのか?」
「そんなわけない」
「じゃ、ラッキー、ですませとけよ」
ノアは、オレと竜の契約のことを知らない。左目を得る代わりにオレが何をしなくちゃならないのか、まだ知らない。知られたとして別に問題ないが、変に気を遣われるのも面倒だ。コイツそういうヤツだし。
どこ吹く風のオレに、ノアは納得した顔をしていなかったが、これ以上追求したって無駄だと悟ったのか、開けた口を結局は閉じた。
その後はとくに誰ともすれ違うことなく喫茶店ドラゴンに着いた。
カラン、とベルを鳴らしながら中に戻ると、革張りのソファでうたた寝していた金の竜が小さな頭を持ち上げる。
『おかえりなさい』
「ただいま、戻りました」
ノアに続いて店舗兼自宅に入り、まっすぐキッチンに行って業務用パイシートを冷凍庫に放り込む。それからまとめ買いしたりんごをゴロゴロとシンクに転がす。「シリル、これは? シナモンとラム酒と、レモンの薄切り」「あー、くれ」ノアの手から瓶を受け取って並べる。あとは家にもとからあるグラニュー糖とバターを使えば…。
エプロンをつけたオレに、ノアが目を丸くする。「ご飯にはまだ早いけど…」「ちょっとアップルパイでも作ろうかって思ってさ」「アップルパイ…?」さらに目を丸くしたノアに、店舗のカウンターを指す。
「お前、クッキーかサンドイッチか、決まりきったもんしか用意してないだろ。コーヒーにはよく合うデザートがあった方が売れるに決まってる」
「それは……そうかもしれないけど」
オレが店を手伝うようになってから、確認した限り、客は三人しか来てない。
どいつもメニューを眺めてコーヒーしかないなぁって顔でコーヒーだけ頼んで会計している感じだった。コーヒー以外のメニューがクッキーとサンドイッチしかないんじゃそうもなる。
店をやり始めてからしか自炊をしていないというノアのレベルじゃ、コーヒーに合うアップルパイとかその他、デザートなんて作れなかったんだろう。
その点、一人暮らし歴が長いオレは、自炊には自信がある。たいていのもんは作れるし、女子ウケが良いって理由で簡単な菓子ならレシピなしで作れる。だから試しに作ってやろうってわけだ。
………何の因果か、一度は命を奪うところだった友人の『ナイト』になった。
善の条件で発動する魔法を使って善人を守るナイトは、たぶん、オレが子供の頃になりたかったヒーローみたいなものに似ている。
守るべき人間の、善性のために。損をしやすい良い人間が、少しでも、生きやすいように。オレはオレにできることをするだけだ。
「ま、お前には世話になってるしな。喫茶店が繁盛してくれないとオレも困るし。
アップルパイが店に出せるレベルになったら、ビラ配って、宣伝しようぜ。ココ、『中世のアンティークな空間を感じられる喫茶店』とかで売り出せばわりとウケると思う。
そうでなくても、期間限定でケーキセットで値引きとかすれば女は来るさ。なんなら接客も手伝ってやるよ。そういうの得意だから」
女受けのいい顔をすると、ノアが呆れたような感心したような顔で笑った。「助かるよ、シリル。僕には無理だから」「お前はケーキに合うコーヒーでも考えとけよ。オレはそっちはサッパリだからな」「そうだね。わかった」ノアは真剣な顔で頷くと、カウンターの方で今あるコーヒー豆を確認し始めた。…ホント、コーヒー好きなんだなぁ。わっかんねぇ。
12話め! シリルが竜の目を手に入れました
正しくは『竜の力を結晶化させてそれが目として機能しているモノ』って感じです。普段は普通の目です
力を使うときはちょっと光ったりします(-ω☆)
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