26.進展
自分の命がかかっていると知ったルーカス・ホワイトの行動は早かった。
パブからアパートに戻り、ツテの医師に彼のことを伝え術日が明日になったという連絡をしたその日に『先輩ですけど、コンタクト取れましたよ』と言ってきたのだ。彼はできる後輩らしい。「それはどうも」言いながら作成した地図を送信する。右手の手術は明日の十時にこの場所へ行くように、と。
私はといえば、今日は外に出っぱなしで疲れており、シャワーもすませていい感じに眠たい。
そんな私の前で通話ボタンがくるくると回転している。『なんでも用事があるとかで、ロンドンに来る予定があるそうで。苦労するかなと思ったんですけど、手のことも持ちだしたらあっさりOKしてくれました』「日にちは?」『明後日だそうです。セント・パンクラス駅に十一時』「オーケー」紅葉がカレンダーに予定をメモするのを視界の端で確認しつつ、ふわぁ、と欠伸をこぼす。ああ、眠い。
「右手に変化はないかい」
念のため私の魔力を込めたルーンも持たせたし、大丈夫だろうが、一応確認しておく。
眠たい私の前でくるくる回るアイコンが上下に揺れて笑っている。
『いやぁ、最近体がダルかったんですけど、この木彫りルーンのおかげですかね。すっごい調子いいんです。夜勤明けにオールもできそうなくらいです』
「明日は手術だろう。頼むから寝てくれ。睡眠不足は祟るよ」
『はーい。ところで、その手術のお金ってどのくらいかかるんでしょう…?』
「さぁ。状態によるから診てもらわないことにはなんとも」
私は医師のように詳しく状態を診れるわけじゃない。とくに呪術は専門家に診てもらって正しい対処をしてもらうのが間違いがないし安全だろう。
彼は『そうですか。そうですよね…』ぶつぶつぼやいたあと、思い出したようにこう付け足した。
『あ、一応ですけど、先輩に会う当日はボクも出向きますから』
「…どうしてだい」
『先輩って用心深いんですよ。自分から接触しようって思った相手じゃないと警戒するんですよね。
ボクから約束を取り付けた手前、ボクもいないと。話すらできないのは勘弁でしょう?』
……シリル・キーツという人間を知っている後輩くんがこう言うのだ。仕方ない。ルーカスにもいてもらうか。
送信した地図のこと、医師に会う手順などを説明して、眠いから、今日はとりあえず通話を切った。
午前中はブラッド家。午後は情報を頭に叩き込むのとルーカス・ホワイトとの接触に時間を使った。
今日はもう疲れた。充分だろう。フリーの何でも屋魔術師K、よくできました。「寝るよ紅葉…消して」『はい』部屋の電気系統をコントロールできる紅葉はすべての電気という電気をオフにした。とたん、部屋は真っ暗闇に落ちて、アパートの外の道路を走る車の音が遠く聞こえるのみになる。
昼夜の冷え込みが厳しくなってきたので、ニットのセーターを出して毛玉を気にせず着たら紅葉に毛玉取り器で全身きれいにされた。「別にいいのに…」『身だしなみは紳士の基本です』今日はルーカス・ホワイトの先輩シリル・キーツに会う日である。会うというか、彼と会う約束をしたルーカスに私がついていく日、と言うべきか。だからどのみち第一印象は微妙なものになると思うんだけど。
そこは指摘せず、コートの毛玉も取り始めた紅葉の気がすむようにさせて、その間にここまでに得た情報を改めて整理する。
ウォッチャーから依頼を受けた『アーヴァイン・ブラッドの捜索』の手がかりとなるだろう二名の人物、ルーカス・ホワイトとシリル・キーツのうちルーカスに接触。
彼の右手はブラッド卿の呪術が宿った代物であり、魔力の供給源である卿が消息不明の今、エサを求めてそのうち宿主を喰らい尽くすであろうことは明白。
卿の呪術を知る貴重な生存者を消させるわけにもいかず、私は彼にその手の専門家の医師を紹介。ルーカスの手術は無事成功し、彼の本来の右手は使い物にならなくなっていたので義手となった…。これがここまでの流れだ。
(ブラッド家で確認された『大規模な魔術』『壊れた懐中時計』のことも気がかりだけど、そっちはウォッチャーが調べるだろうから、私はひとまずノータッチといこう)
紅葉が毛玉取り器を手に一歩引いた。どうやら満足したらしい。「じゃあ、行ってきます」なるべく警戒されないためバッグなどの魔具が入りそうな容量のあるものは持たず、端末をポケットに突っ込んだだけでアパートの扉を開ける。『行ってらっしゃいませ』背後でこちらを見送る紅葉の声がして、閉まった扉は施錠された。
集合時間よりも三十分早く煉瓦の駅に到着し、中途半端な時間でもそれなりの人で賑わうスタバでホットコーヒーを買った。ちびちびすすりつつ、構内のショッピングモールを見下ろせる駅でも見晴らしのいい二階の座席に陣取る。
目深に被ったキャスケットと簡易の魔術で顔を誤魔化し、紅葉の情報にあったシリル・キーツの姿を捜す。
コンタクト型の情報端末は視界に入った人の顔を該当者と識別しながら世話しなく情報処理を続ける。
これはまぁまぁ目の負担になるんだけど、便利だから、今日は我慢。そのためにたっぷり寝て来たわけだし。
今日は魔術的なことは必要最低限の処理しかしないつもりだ。このコンタクトもそのためにしてきた。
コーヒーをすすりながら人の流れに目をやり続けて、七分が経過したときだった。それまで動きのなかったコンタクトが視界内で赤丸を作った。思わずソファから腰を浮かしかけて、座り直す。いた。シリル・キーツだ。
同じブランドで隙なく固めているシャレた彼の隣には、なぜか日本人顔の青年が一人。に。あれは。
(まさか)
端末に登録しておいた写真を呼び出す。
イギリス人らしいブロンドヘアに緑の瞳の少女。フードを被って顔を隠しているつもりかもしれないが……間違いない。行方不明となっているリリー・ブラッドだ。
思いもしない収穫に困惑しつつ、コンタクト越しの視界をしっかりと録画しておく。
三人は連れ立って歩きながら何事かを話し合っている。
一体何を話しているのか、気になるが、魔術を行使して彼に私を感づかせたくはない。あちらに働きかける魔術はご法度。私の聴覚を強化するくらいならいけるか…?
自分の耳に全神経を集中させる。
すべての音という音が洪水となって襲い掛かってくる中で、目的の声を捜す。彼らの姿を視認し強く意識することで、どうにか欲しい音を導ける。
「シリルは用事があるんだっけ」
「ああ。ザラで買い物してろ。終わったら行く」
「あの……わたし、本当に、服も家具も、余りものとかでいいので…」
「駄目だよリリー。倉庫だった部屋がようやくきれいになったんだし、生活品は揃えよう。そのためにロンドンまで出てきたんだから」
「でも………」
「金の心配はしなくていいんだよ。気になるなら、その分店で働けばいい」
「…はい」
耳がキンキンしてきたのでいったん集中を解いてこめかみを指で押す。
どうやらシリル・キーツの連れはザラに行くらしい。リリー・ブラッド、彼女のことも気がかりではあるが、それも含めて、彼には話を聞かねばならないだろう。
コンタクトの録画を切り、行き交う人混みに紛れるようにして構内のトイレの個室で『フリーの何でも屋魔術師K』としての顔を作った。キャスケットはもういらないから忘れたフリで個室に置いたままにし、リバーシブル仕様のコートを裏返して着れば完了、と。
いったん駅を出て、道を少し戻り、ルーカスとの待ち合わせ場所に向かっている、そういうふうに歩いているとその彼がやってきた。「あれ、早いですね。おはよーございまーす」相変わらずピンクの髪がぴょこぴょこしている。
「おはよう。もう十一時だけど?」
「いやぁ、さっき起きましたよ。術後ってツライ」
右手をプラプラさせた彼はずいっとこっちに顔を寄せて「ところで、あの医者、ヤブじゃないですよね?」と声を潜めてくる。なんなんだ急に。「すごい金額請求されたんですけど?」「そりゃあ、君。呪術の代物を安全に取り除くなんて、誰だってできることじゃない。それなりの金額になるよ。義手のこともあるし」普通の人間の手に見えるよう加工されている義手に不便はないようで、ルーカスは右手をぐっぱぐっぱしながら肩を落とした。「しばらく借金生活かぁ…」とぼやく声に肩を竦めて返す。
「パブで働いてる君にとってはまぁまぁな金額かもしれないけど、何年か真面目に働いて節約すれば返せない金額じゃない。
利子は私のツテってことで最低限にしてくれてるんだ。頑張りなさい」
「ハイ……」
「あと、ルーン返して。もういらないだろう」
「はい。お世話になりました~」
術後のせいか心持ちゲッソリしていた彼だが、待ち合わせ場所である恋人が抱き合う銅像の前に来るとパッと表情を変えて「先輩!」と元気よく走って行った。
その先輩、先ほど確認したシリル・キーツは銅像のそばにあるベンチでタブレットと端末を睨みながら何かしていたようだが、ルーカスの声に視線を上げて彼と、そして私を見た。「お久しぶりです!」「ああ」用心深い、警戒心が強い、と言っていたルーカスの言葉通り、彼は見知らぬ人間である私から視線を外さない。
ルーカスは下手に誤魔化す気はないようで、「あのー、手なんですけど、あの人のおかげでなんとかなりました」と肯定的な紹介方法で私のことを示した。
シリルはルーカスの右手を一瞥し、それから私に視線を戻す。
「少し話がしたいんだ。シリル・キーツ」
「…………お前は外せルー」
「えっ。なんでですか」
「いいから外せ」
「えー…。はーい」
渋々、といった感じでそばを離れたルーカスがショッピングモールの方へプラプラ歩いていく。
タブレットと端末をバーバリーのクラッチバッグに押し込み、ベンチを蹴るようにして立ち上がったシリルがスタスタと歩き出す。どうやら移動しながら話せということらしい。はいはい、仰せのままに。
「何者だ」
歩きながら問う彼の声は低く唸るようだった。明らかに警戒されている。
私は何も持っていない両手を挙げて妙なことをする気はないという意志を示しつつ、「フリーのKというんだけど。知っているかな」「ああ…。天才とかいう」彼にはその才能はないという話だったが、どうやらこちら側のことを少しは知っているらしい。
(下手に誤魔化しても警戒心を煽るだけかもしれないし、ここは正直に行く方がいいだろうか。それともある程度探りを入れるべきか?)
退屈そうな顔で足を止めてウィンドウショッピングを装う彼に付き合う。「で、その天才がオレに何の用だ」「依頼を受けてね。とある人物のことで君にいくつか尋ねたいことがあるんだ」「ふぅん」気のなさそうな顔で私の肩に新作らしい服を押し当ててくる彼は「もうちょっとマシなもん着ろよ」と余計なことを言ってきた。
おかしいな。季節らしいニットだし、まだ買って数年だし、サイズも変わってないし、毛玉は紅葉が取ってくれたし。何も問題ないはずなんだけど…。
バーバリーなんて高いブランドのバッグを持ち歩くシリルはユニクロなんて縁がないのかもしれない。男女にモテるだけあって顔も良いし。……じゃなくて。
「アーヴァイン・ブラッド。知っているだろう」
そう口にした瞬間、ざわりと彼の周囲の空気が騒いだ、気がした。
気のない顔で服を戻した彼がこちらを一瞥する。「天才の何でも屋なら調査済みなんだろ。意味のない問いかけは時間の無駄だ。クソじじいがなんだよ」クソじじい! 呪術の使い手でウォッチャーからも恐れられたあの天才、ブラッド卿をクソじじい呼ばわりとは恐れ入る。
私は若干引きつる口元で「その、クソじじい、なんだけど。行方不明なんだ。彼について知っていることは?」あのブラッド卿をクソじじいと呼ぶ日が来るとは思わなかったなぁ。
それまでまぁまぁ喋ってくれていたシリルが閉口した。何かを考えるように視線を服へと逃がす。
「…よくは知らねぇ」
「不確かな情報でも構わない」
「………死んだ。って話だ」
彼は感情を含まない声で簡潔に告げた。
あのブラッド卿が死んだ…?
その可能性を当然考えてはいたが、信じられるものじゃない。
彼を呪術へ走らせた執念は相当なものだった。深淵を覗き深淵に堕ちることを厭わないあの昏い目が生を諦めることなどあるのだろうか?
考える私を置いて彼はさっさと店を出た。慌てて追いかける。「ちょっと待ってくれ、まだある」「あ? んだよ」「彼の孫娘のことだ」私を振り切るように大股で歩いていた彼がピタリと立ち止まった。さっき彼女と一緒にいたことは確認済みだが、そこはあえて言わないでおく。
「リリー・ブラッドについては何か知らないか?」
尋ねた私を睨み据える彼の左の目が淡く光っている。
もしや魔眼かと身構えた私に、左の目を手のひらで覆った彼が一つ舌打ちした。「…アイツはもう何もしない。クソじじいに強要されてヤってただけなんだよ。手を出すな」唸るようにこぼした彼はそれだけ言ってさっさと歩いて行ってしまう。どうやら左目を使う気はないらしい。
詰まっていた息を深く吐き出す。
彼がどんな術を与えられたのかは知らないが、魔眼の可能性は考えていなかった。それなりに貴重だし、使い捨ての駒くらいにしか考えてない一般市民にそんなものは与えないだろうと…。認識が甘かったな。今のが魔眼だったら危なかったかもしれない。
(はぁー…。これからは魔眼除け、持ち歩こう)
一つ心に決めながら、どうだろう、と自分に問いかける。
ウォッチャーからの依頼を受けて三日目だ。とりあえずの経過報告としての成果は出せた方だろう。いったん彼女に情報を渡して、その上で指示を仰ごうか。
またもやお久しぶり更新となりました…。26話め!
ようやく知った顔が出てきました。なんだか久しぶり
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