11.闇と騎士

 

 体がベタベタして気持ち悪いことこの上なかったんで、ホットミルクを飲み干したあとにシャワーを借りた。ぬるい湯でも頭から被れば多少は気分がスッキリする。
 オレの服は血が取れないから捨てたってことだったから、着替えはノアのものを借りた。
 ……白いワイシャツが、小さい。ノアは小柄だから丈やら袖やらが短く感じる。肩とかキツいし。「お前、サイズいくつ」「服? Sだけど。ものによってはSSとかかな」「ちっさ」思わずぼやくと眉根を寄せられた。
 ノアは考えたあと、ワイシャツじゃなくTシャツを持ってきた。そっちならルーズな分まだ着れそうだ。
 着替えをすませ、最後に簡単な眼帯で左目を覆う。

「そういや…」
「うん?」
「オレ、ずっとお前のベッドで寝てたんだろ。その間ノアはどこで寝てたんだ?」
「あー…うん。言いにくいんだけど、君の隣で寝てたよ。ほら、他に寝る場所ないから…。店舗では避けたかったし」
「二階、まだ空き部屋あるだろ」
「うん。あるんだけど…倉庫のまま片付けてないんだよ」

 カップを片付けながら苦笑い気味にそう言うノアに、脱いだワイシャツを椅子の背もたれに引っかけてタオルでぞんざいに髪を拭いつつ、まず真っ先に買い物に行くことを決めた。
 ここで何日過ごすかはまたあとで考えるとして、とりあえずベッドがいる。
 なんでかって? 野郎と狭いベッドで寝る趣味はないからだよ。
 できれば部屋も別にしたいが、倉庫みたいな部屋で寝るのも嫌だし、片付けるまではノアの部屋にベッドを二つ置くしかない。
 それに服。ノアは普段からSとか着てるらしいが、オレはMでないと無理だ。
 シャワーを浴びて少しスッキリしたとはいえ、まだ体はまだダルい。
 買い物はちょうどいいリハビリになるだろう。とりあえず歩いて、体の調子を確かめよう。片目の視界にも慣れないとな。
 広くもない町だ。オレは一人でもいいと言ったが、ノアも買い物の用があると言って行くと譲らなかったんで、仕方なく男二人でここで一番デカいんだというスーパーへ向かうことになった。
 カラン、とベルの音を鳴らすアンティークな扉を押し開けて外に出ると、田舎だな、と思う排気ガス臭くない空気に包まれた。気のせいか、空まで澄んでいるような気がしてくる。
 ぐっと伸びをして、肩を回す。
 ああ、あちこち凝ってる気がする。シャワーで少しはほぐれたとはいえ。

「お前、車ある?」
「あると思う?」

 暗にないと言っているノアに肩を竦めて返す。そうかよ。となると、金はかかるが配達を頼むしかないか。
 カーディガンのポケット、ズボンのポケット、ポケットというポケットに手をやってから気付く。
 そういや端末、念のためって始末したんだった。一仕事終わったら新しいのを買えばいいって思ったんだっけ。

「ノア、端末貸してくれ」

 片手を出すと、ノアはとくに何も聞かずオレの手に携帯端末を押しつけた。「…お前さぁ」ロックを外してあるディスプレイを指で弾いて、銀行のアプリをダウンロードする。「そんな簡単に自分の端末を人にやるなよ。おかしなことに使われたらどうするんだ」今や携帯端末さえあれば電子でたいていの支払いはすむんだ。そんな財布同然の端末を他人に貸すべきじゃない。貸してくれって言っておいてなんだけどさ。
 端末にシールタイプの記憶媒体を貼りつける。アクセス、展開、と。
 ノアが難しい顔をしてオレの手の端末を覗き込んだ。「変なことはしてないんだろう?」「まぁな。ちょっとアクセス」「何に?」「銀行だよ」「じゃ、今のは?」端末の裏に貼りつけた記憶媒体を指すノアに肩を竦める。「保険ってヤツ」「ふーん…」微妙な顔をしていたが、ノアはツッコんで訊いてくることはなかった。

(さて、と)

 仮想ディスプレイをいくつも出して口座の入出金の流れをチェックする。
 オレが失敗したってことは左目を通して伝わってるはずだ。生死がどう伝わってるのかは定かじゃないが…警戒するに越したことはないだろう。
 シリル・キーツの名前の口座の金は今のところ動きなし、と。
 あっちもオレの動きを待って見張ってる可能性もある。ここの金を動かすのは賢いとは言えない。となると、名前を偽装して作った口座のどれかから金を出すわけだが…。さて、どれにするかな。

 

 

 折りたたみのソファベッドその他に、食料や日用品。ノアと必要なものを買ってノアの店に戻った頃には、オレは完全にへばっていた。

「く、そぉ」

 思っているより足腰が萎えているらしい。食材の入ったエコバッグと衣服やらの紙袋を持って十五分歩くだけでこれとは…。半月寝たきりってのは恐ろしいもんだ。
 アンティークな椅子に座り込んでテーブルに突っ伏したオレにノアが苦笑している。「シリル、大丈夫?」「うるせー…」軽口で返す元気もない。なんなら今すぐ寝たいくらいには疲れている。
 病み上がりという言葉を否定できなかったその日から、ノアの自宅兼店舗で、とりあえず、体力その他が回復するまでの間世話になることにした。
 期限を設けたのは、そうでもしないと、状況に甘えそうな自分を自覚していたからだ。
 ノアは好ましい人間だ。かつての両親を彷彿とさせるような善性、そして、それなりに友人として付き合ってきた気心知れた仲でもある。
だからこそ、線引は必要だ。

「おい」
「はい」
「お前の命を狙ってるヤツは、呪術師だ。人でも物でも呪うことに関しては長けたジジイだよ。オレみたいな雇われの人間も抱えてる、それなりにデカい組織のトップ。
 何か手を打たなきゃ、あのジジイはまた来るぜ」

 警告も兼ねて告げ口しても、コーヒーをすする金髪の女は小首を傾げるだけだ。
 朝夕の日課として散歩から始めて、戻ってきたらノアが作った朝食を食べて、その後は庭いじりを手伝ったり、タブレットで調べ物をしてまとめたり。昼になったらオレが食事を作って、そのあとは筋トレをしたり、気まぐれでノアにコーヒーについて教わったり。
 ベッドを二つ並べた寝室があまりに狭いんで、オレが店番してるからお前は部屋を掃除してこい、客が来たら呼ぶ、とノアを掃除に行かせ、オレは調べ物をしながらエプロンをつけて店番をしてみたり。

「シリル、ご飯作るのうまいんだ。デザートも…なんか、意外だよ」
「一人暮らしが長いんだ。これくらいできてフツーだろ」
「…それは僕の料理が下手くそだって言ってる?」
「まぁ、うまくはないな。喫茶店やりたいなら料理の腕も磨けよ」

 コーヒーだけは上手いノアは、オレが作ったプリンをどこか悔しそうに食っている。
 トラブルらしいことも起きない片田舎で、そんな穏やかとも言える日々を一週間も過ごすと、だんだんと、ここが自分の居場所なんじゃないかという錯覚を感じてくる。

(ノアはお人好しだ。あの金のドラゴンも、自分の命を脅かした野郎をそばに置くことを疑問に思わない甘いヤツだ)

 橙の夕暮れが眩しい片田舎の舗装路面を軽くジョギングを混じえて散歩しながら、これからのことを考える。
 オレにはもう何かの術を使うような力はない。その力があった左目はない。
 今のオレにできることといえば、かろうじて、人ならざるモノの気配がわかる程度。それだって頼りない勘みたいなものであって、確かなことじゃない。きっと、時間がたつごとに、この勘も薄れていくだろう。
 オレは一般人並みの能力しか持たないただの人間になった。
 それでも、常人の道から外れたのだという過去は消えない。

「…、」

 片田舎に似合わない、背筋が寒くなる風に、ざく、と砂利道を踏んで足を止める。
 肩で息をしながら、一点、目の前の闇を見据える。
 田舎町の外れ。ジョギングで訪れたその場所の、夕陽が沈み暮れていく山から伸びる影に、闇が、潜んでいる。
 視界に入れるだけで背筋が冷たくなる寒さ。おぞましさ。…覚えがあるからこそ、片目の視界をそこから逸らすことができない。
 今のオレには闇に対抗する手段がない。それでも精一杯の強がりで「ああ、早いな。さすがだよ」とぼやいて肩を竦める。
 闇の中から、ズルズルと、人ならざるモノが這い出てくる。それは気色悪い形の虫だった。ムカデに近いが、羽も生えていてどこか蜂っぽくもあるし、そのくせ不安定でドロドロと溶解もしていてスライムのようで……ああ、とにかく気色が悪い。
 これは何か。自問して、すぐに答えが出る。あのじじいの小間使いだ。

『生きていたか』

 ほら、当たり。憶えのあるじじいの声だ。この虫を通して話している、ってことか。
 どうやらじじいはあの山頂の痕跡を洗い出し、ここを嗅ぎつけたらしい。
 馬鹿っぽいが、あの竜も本当に馬鹿じゃないはずだ。あの場所で何があったのか、可能な限り隠そうとはしたはず。それでもじじいはここを探り当てた。「ああ、この通り。残念ながらアンタがくれた左目はダメになったけど」眼帯で覆った左目の空洞を指すと、ムカデのような蜂のようなスライムのような虫は、ハ、ハ、と不気味に揺れて笑う。

『それで? 彼奴はどこだね』
「…オレがそれを言うとでも?」
『言うとも。
 お前にはもう力がない。儂が与えたものも、誰の加護もない。力のないお前は、こんな虫けらの闇にもすぐに沈むぞ。
 それとも、一人虚しく、寒い最期を迎えたいのかね? それを忌避したからこそ、力を欲しがったのだろう』

 少し前のオレなら、そのために媚びへつらったかもしれない。
 だが、ここにいるオレはもう違う。物言わない両親の棺を前に雨に打たれるだけの子供じゃない。

(オレが失くした輝きがここにはある。
 あれを、守れるならば、守りたい。
 美しいものは美しいままで。白い鳥は純白のまま羽ばたかせるべきだ)

 常に持ち歩いているサバイバルナイフを抜き放って構えると、ムカデのような蜂のようなスライムのような虫が愉快そうに体を揺らして笑う。『そんなもので、魔術に対抗しようと?』「うるせぇ」無理は百も承知だ。ただのナイフなんてなんにもならないだろう。けど。
 もうすでにほとんどの力が残っていないが、竜から返された聖遺物のコインをポケットの中で握りしめる。

(強化魔術…)

 バチン、と静電気のような力が指先に宿る。
 本当に少しの、爪の先にしか纏えない、力の残骸。その少しの力でナイフの刃をなぞって強化すると、コインはポケットの中で砂のように崩れて消えた。
 これが今できる精一杯。
 残滓のような力とはいえ、ナイフの表面をコーティングできた。うまくいけばアレを始末できるかもしれない。
 ……少しは体力筋力が戻ったとはいえ、元通りにとはいかない。
 だが、それでも。やるしかない。
 ナイフを構えたオレに、こちらが本気だとわかった虫がギチギチと多足を動かし始めた。『愚かな』カチカチと顎を鳴らし、虫が飛ぶ。飛翔。片目の視界で捉えたまま合わせて駆けるが、理想のように、体がついてこない。「く…っ」着地点にうまく合わせて虫を断ち切るつもりが、腕をムカデの足が掠った。ジュワ、という音は、毒か何かで肌が削られた音か。
 直撃を避けて地面を転がったが、ナイフを掠めることもできなかった。オレの腕が火傷したみたいに爛れただけだ。大部分はジャージの袖を溶かしただけですんだようだが、次はない。

(くそ)

 この町に、コレを入れるわけにはいかない。これ以上進ませるわけにはいかない。次の日、原因不明の死傷者を出すだろうことは想像できる。
 ここにはノアがいる。アイツが手塩にかけている店がある。アイツが光だと言う金の竜がいる。絶対に、ここを通すわけにはいかない。
 遅効性の毒でもあるのか、満足に動かなくなった左腕をぶらりと垂らし、右手でナイフを構える。
 カチカチと顎を鳴らして虫が地面を這ってくる。緩慢だが、オレにとっては速い動き。
 それでも、飛びかかってきた虫と相打つつもりでその体にナイフを突き立て、虫には肩を咬まれた。食い千切られるかと思う力だった。「ぐ…っ」咬まれたところから腐って爛れていく。そんな熱があっという間に全身に広がっていく。
 聖なる力の残骸を纏わせたが、ナイフは呆気なくパキンと音を立てて割れた。スライムみたいにぶよぶよしてるくせに、硬い。
 力、及ばず、か。

『その程度の力では、これすら屠れん』

 哀れ。そう嘆いた虫がぱかりと大口を開けてオレの顔に食らいつかんとする、そのとき、金色の光が射した。…あの山で、意識を失う直前に見た光と同じものだ。
 オレの背後から射し込む光に、霞む視界を凝らすと、そこには金色の竜がいた。
 虫を操るじじいの狙いはアイツだ。
 あの竜、こっちが頑張ってるってのに、馬鹿正直に出てきやがった。
 これ幸いとばかりに虫はオレから離れて金色の竜に飛びかかる。
 その巨体であっという間に竜をグルグル巻きにし、触れれば爛れる毒をこれでもかと浴びせながら、竜を締め上げるが……金の竜は顔色一つ変えなかった。そして、弾けたのは虫の方だった。パン、と呆気なく飛散して、形容しがたい肉塊がぼとぼとと辺りに飛び散る。
 ………なんか。頑張ったオレが馬鹿みたいだ。こんなに、力の差が、あるとは。
 呪いが解けて、しばらくたった。簡単にはやられない程度の力は戻っていたってことか。
 飛び散った虫の肉塊がじゅわっと音を立てて消えていくのを見ながら、砂利道に倒れ込む。
 肩と腕がいてぇ。意識が飛びそうだ。
 これは、また治療だな。あの緑の子供がうるさいだろうな…。
 竜は、白いワンピースを着た金髪の女の姿を取ると、自力で動けないオレを無言で抱き上げた。「…それはやめてくれ」「?」「だから、その、抱き方…」いわゆるお姫様抱っこというヤツをされて訴えてみたが、女は首を傾げただけで、そのまま店の方へと歩き始める。

「お話があります」
「……なんだよ。今する話?」
「はい。ノアのいないところが良いかと思ったのです」
「あ、そ。何」

 男のオレを両腕で抱き上げても眉一つ動かさないで、金の竜は言う。「ナイトになるつもりはありますか」と。
 毒で朦朧としている意識のせいですぐに思考が結びつかなかったが、ナイトとは、騎士のことか。
 イギリスにはまだそういった叙勲制度があるが、竜が言いたいのはそういうことではない気がする。「どういう、意味だ」問うと、女の顔をした竜はまっすぐ前を見ながらこう言う。「ノアを守る、ナイトです」と。
 当面じじいから狙われるだろう自分ではなく、ノアを守る、ナイトになる気はあるかと、オレにそう言う。
 なかなかに、意味がわからない。

「なんで、ノアなんだ…」
「彼は、無力です。我々の世界をあまりにも知らない。
 比べて、あなたは、力があれば扱うことができるほどにはこちらの世界を知っている。そうですね」
「……まぁな」
「わたしは、これからも狙われるでしょう。それは、もはや仕方がないとします。
 しかし、それにノアが巻き込まれることは、あってはなりません。彼は良き人です。傷つけることも、傷つけられることも、あってはならない」

 だから、オレに力を預けるから、ノアを守れ、と。アイツの剣とも盾ともなれ、と。ナイトになれと、そう言うわけか。
 熱で浮つく頭でナイトについて考えている間に店に連れ帰られて、酷く慌てているノアが緑の子供を喚び出した。
 シリル、しっかりしろ、とどこか遠いところでノアの声がしている。
 これを、守れ、と。金の竜は言う。
 あの竜にとってノアって人間は一体何なのか。少し、興味が湧いた。
 付け加えるなら……オレも竜と同意見だ。ああ、なんだって、こんなところで意見が合っちまうかなぁ。

(別に、やりたいこともないし。行くアテだってないんだ。やるべきことがあるなら、やったって、いい)

 それが、この片田舎でダチと暮らすことで、二人で喫茶店を切り盛りすることなら、それもやってやるよ。
 ああ、そうだ。まさしく、望むところだ。
 慌てるノアと、テキパキと包帯やらよくわからない薬やらを用意していく緑の子供と。その向こうから黙ってこっちを見ている金髪の女に、やる、と唇だけを動かすと、伝わったらしく、竜は満足そうに微笑んで頷いた。

 

 


 

 

11話め! 回復したのにまた怪我するシリル(´・ω・`)
しばらくシリルのターン!

 

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