10.求道

2019年5月12日

 

 

 目を開けると、木目の天井が見えた。見覚えは、ない。
 なんでも電気ですむこのご時世、時代遅れなアンティークの灯りに憶えなんてない。
 ここは、どこだ。

「…、」

 片目の視界に、左目に指を這わせると、包帯が巻いてあり、その上から軽く撫でただけで、ぼっこりと凹んでいるのがわかった。
 あるべきものがない。左目がない。…ダメになったんだろう。そりゃあ、そうだ。
 あの目は力を行使する代償に支払ったモノ。オレの目として機能していたが、事実、オレの言うことなどきかない目だった。意識を失くす寸前まで、あの目はオレを苛んでいた。借り物の力しかないオレにはどうしようもない代物だった。
 それが、オレの体を壊す前に、きれいさっぱり取り除かれた、と。

(…で、ここはどこだ……こんなアンティークな地獄はないだろう)

 さまよわせた視界の先は、ゴチャゴチャと物が溢れる部屋だ。使用用途がわからないようなモノが散らばった書机と椅子に、本棚。
 …やっぱり地獄には見えないな。かと言って天国でもないだろう。
 だとすれば、だ。
 オレは、オレを呪う左目を取り除かれ、その後治療され、生きている。
 仮にそうだとすれば、それをやったのは誰なのか? オレを助けようとするような物好きがいるとすれば、あの場にはたった一人だけ。
 まだうまいこと動かない体で思考を回転させていると、これもアンティークな木製の扉が開いた。入ってきたのは、緑の髪の子供に、黒髪と地味な顔立ち。間違えようがない、ノアだ。オレが撃ち抜いた左肩も右腕もすっかり大丈夫なのか、銀のトレイを抱えて、普通に動いている。

「目が覚めたのね!」

 まず駆け寄ってきたのは子供だ。
 …いや、子供の姿をした何か、か。それなりに呪術やら魔術やらの世界に身を浸したオレにはそれくらいはわかった。
 ノアは、明らかにホッとしたように表情を緩めて子供のあとに続いてベッドのそばにやってくる。
 ……馬鹿だなぁ、お前は。そんな人ならざるモノの力を借りて、オレの命を繋いだのか。

(ほんと。馬鹿だなぁ)

 緑の髪、緑の瞳、緑のフリルとリボンのワンピース。肌以外は全部緑色をした子供がテキパキとオレの腕を持ち上げたり左目の包帯を外して状態をチェックする。

「…うん、良好ね。いいわ、これなら起きても大丈夫でしょう。あたしの加護ももういらないみたい」

 新しい包帯を手慣れた様子で巻き直すと、ふわぁ、と欠伸した口に片手を当てて、子供は眠そうに目をこすってノアを見上げた。「じゃあ、あたし、とりあえず眠るわ。何かあったらまた喚んでもいいわよ」「うん。ありがとう」「どういたしまして。あまり無茶はしないのよ」め、と子供にそうするようにノアに指を突きつけると、緑色の子供はその場から消えていなくなった。
 二人、部屋に残されて、お互い、なかなか言葉が出てこない。
 オレは何から訊けばいいのかと寝起きの頭を巡らせていたが、ノアは何を考えていただろうか。
 結論の出ないオレとは違い、テーブルにトレイを置いたノアは、もう言葉が決まったらしい。
 息を吸い込んで、吐いて。そうして浮かべたのはやっぱり見覚えのある種類の笑顔で。「おはよう、シリル」と言われて、最初に言うことに悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しくなったオレは、投げやりに「はよ」と返してくしゃくしゃの髪に手をやった。
 あー、シャワー浴びてぇ。全身ベタベタして気持ちわる。

 

 

 ノアに促されるまま階段を下りると、これまたアンティークな空間に出た。
 年季の入った木目の丸テーブルとチェア。イマドキ骨董品、だが物好きは高値で買い取るだろうブラウン管のテレビがノイズ混じりの音でニュースを流している。天井には手入れが面倒そうなシャンデリアがぶら下がっている。
 まるで二十世紀に戻ったかのような、そんなおかしな気分だ。
 さっきの部屋といい、この場所といい、この建物だけが異空間だな。
 それなりに高そうな置物の琥珀の小さな龍を眺めていると、ノアがアクエリアスのペットボトルを投げて寄越した。飲め、ってことらしい。へいへい。

「オレの左目、どーした?」

 一口中身を呷ってから問うと、ノアは視線を下げた。「切除した、ってあの子が言ってた。さっきのあの子だよ。僕が目を覚ましたときには、君の目はもうなかったんだ」ごめん、と続けるノアに肩を竦める。「お前が謝ることじゃねぇし…。その判断は間違ってない」そう、何も間違ってない。そのままにしておいたら、左目はオレを呪い尽くしていたろう。むしろ、ここまで自分が回復していることに驚いている。どんな力を使ったのかは知らないが、あの緑の子供には素直に感謝しておこう。
 しかし、ちょっと動いてみて思ったが……この体、栄養面では何も問題なかったようだが、筋力その他は衰えていた。ちょっと階段を下りただけでわりとしんどい。さっきの何気ないペットボトルのパスも取り落とすところだったし。
 アンティークな彫刻の椅子を引いて腰掛けて、一息。「オレ、どれくらい寝てたんだ」あまりの体の重さにそうぼやくと、「半月だよ」とノアの声。
 顔を顰めたオレに「体内の呪いの洗浄、に時間がかかった、みたい」あの緑のがそう言ったのか、ノアは聞いた不慣れな言葉をそのまま伝えた、という口調だ。
 なるほど。ノアの傷もさっきのが治したのか。なかなかやるな。
 アクエリアスのボトルを置いて、年季のせいでざらついたテーブルに頬杖をつく。

「なんで、助けた」

 二番目に気になっていたことを訊くと、今度はノアが眉を顰めた。

「友達を助けるのに、理由がいる?」

 呆れたようにそう言って、キッチンなのか、カウンターの向こうにある扉へと消えていく。
 友達。…友達ね。
 お前は、自分を銃で撃つようなオレをまだ友達だって言えるのか。……本当、お人好しだな。馬鹿だな。
 アンティークなテーブルに突っ伏して、珍しく熱くなった目頭を押さえる。
 ノアって友人のことを、大学生活を通して知ったつもりでいた。けど…オレが思っているよりも、アイツ、馬鹿なのかもしれない。
 普通、問答無用で自分を撃ってきた相手を助けるか? 無償で、当たり前の顔をして。
 今回は相手がオレだったからよかったようなものの。もしこれで違う刺客が現れて、あの竜と、そして自分を狙うようになったら。一体どうするつもりなんだ。

(オレは失敗した。それは左目を通してあっちにも知られてる。何か、手を、打つ必要がある)

 まだうまく回らない頭で考えていると、カタン、と音がした。
 人でない気配ぐらいはオレにもわかる。オレが命を奪うはずだった竜が、向かい側に座ったのだ。

「ノアが、あなたを助けてほしいと願ったので、叶えました」
「そうか。お前も、バカだな。自分を狙ってた野郎を生かすとはな」
「あなたがわたしの呪いの根源でないことは、理解しています。
 あなたは、あなたの事情で、わたしを狙ったのでしょう。あの左目はそのための道具。
 あなたは自分の目を差し出して、代わりに力を得ていた。違いますか」
「…そうだよ。オレには力を扱う素質がなかった。だから、担保の左目に力を宿らせて使ってたんだ。……最後には暴走したけどな」

 アレコレ説明するまでもなく、竜はオレの事情を察していたらしい。
 包帯で隠された左目の下は空洞だ。きれいさっぱり、何もない。
 だが、失ったものはこれだけですんだわけだ。命も、友情も、なくさずすんだ。…よくできた話だ。

「なぜ、あの聖遺物をわたしに? それなりに力のあるものでした。おかげで、自力で呪解が叶いましたが」

 竜の疑問に、オレは閉口した。
 …言わなきゃダメか。まぁ、ダメだよな。命を助けられた借りもあるし…。
 はぁ、と溜め息をついてテーブルに頬を預ける。

「笑うなよ」
「? はい」
「………あの時点で、オレに未来なんてなかった。左目の呪いは標的にオレを加えた。オレは自力で呪解はできない。
 だったら、ノアが気にしてるドラゴンを助けてやる方が…あの聖遺物の力を扱えるヤツを救う方が、いいだろう。そうしたらダチを撃ったバカなオレが終わるだけですむ」

 そう思った。あのときは。それでいいと思ったんだよ、本当に。
 命を狙った竜なんだし、恨みの一つでも言われるかと思ったが、竜からオレを責めるような言葉は一つも出てこなかった。「そうですか」と簡潔に言って、竜は席を立つ。
 そのうち、体のすべての動きが緩慢だと思うオレでも、コーヒーの香りに気付いた。
 顔を覆っていた腕をずらす。カウンターにはノアが戻っていて、エプロンをつけてコーヒーを淹れている。
 ああ、そういやアイツ、喫茶店を継いだって言ってたっけ。
 …それにしたって、不思議な光景だ。アンティークな空間で、人になった竜がコーヒーを飲んでいる。
 竜がコーヒーを嗜むなんて聞いたことはないが、実際、金色の髪をした女の姿の竜は、コーヒーカップ片手にクッキーをかじっていた。
 小さめのカップにたっぷりとミルクを注いだノアがこっちにやってくる。
 オレはお前を撃った野郎だっていうのに、その歩みは以前と何も変わらない。手のかかるオレってヤツに付き合う、大学のときのお前のままだ。

「コーヒーは、空っぽの胃には刺激が強いだろうから、シリルはホットミルクだよ」

 …オレは犬か。ったく。だいたい、アクエリアスがあるだろうが。水分はこれでいいよ。
 思うだけ思って、わざわざ用意したわけだし、一口くらいは口をつけるか、とぬるい温度のカップを手に取る。…はちみつが入ってるのか、甘い。
 このぬるさも、この甘さも、胃がどうとか言うんだろうな、ノアは。

「お前はバカだよ。ノア」

 しみじみそうぼやいたオレに、ノアは人の良さそうな困り顔をするだけだ。

 

 


 

 

10話め! ここからはシリルのターン!
最近ちょっとノってきてるので早めのお届け! 次もできるといいな!

 

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