23.人形ではなく人として
………眩しくて優しい陽だまりの中に、姉が立っている。
わたしが憶えている限りの生きている姉は、まだ6歳の少女だ。
名前はミリー。
ミリーはわたしと瓜二つの外見をした姉妹で、肩でカットしたブロンドヘアに緑の瞳でじっとこちらを見ている。
きっと、生きていたら、わたしたちは今もそっくりな容姿をしていたに違いない。
血の塊ではない、赤い色ではない、懐かしい姉へと手を伸ばしかけて、ぎゅっと拳を握ってやめた。
だってわたしは、あの眩しい場所に、優しい場所に、行く資格がない。
だからわたしは、暗闇の中から姉へと言葉を投げることにした。
「姉さん。わたしの世界はね、ずっと、白黒だったの。姉さんを失くしたときからずっと」
姉は何も言わず、人形のような無表情でじっとわたしを見つめている。
これはきっと夢。
自分がさっきまで何をしていたのか、思い出せないけど、夢でもいいから姉に会えたら言おうと思っていたことがあった。今、夢を夢だと気付いているうちに、伝えなくては。
「おじい様のことが怖くて、恐ろしくて、人形みたいに生きていた……。そうやって、わたしは逃げていたの。
でもね、そんなわたしに、色をくれた人がいたの。優しくしてくれた人が、いたの」
ぼんやりと、黒い髪に茶色い瞳のあの人を思い出す。わたしを庇った背中を思い出す。向けられた優しさを、笑顔を思い出す。淹れてくれたコーヒーのあたたかさを思い出す。
あなたはまたわたしを救ってくれた。
今度はわたしが。わたしが、あなたの助けになって、あなたを救う番。
(たとえおじい様に呪われようとも)
わたしの中の想い出としてずっと存在していた姉が光の中に解けていく。ほどけて、溶けて、分解されて……わたしへと還っていく。
姉は結局何も言ってはくれなかったけど、わたしは満足していた。
ミリー。姉さん。
あなたはわたしにとって唯一の姉妹で、わたしを解ってくれた人だった。
でも、それを理由に、わたしはずっと立ち止まっていた。あなたを言い訳にしていた。戦うことも、生きる意志も、全部しまい込んで、膝を抱えるだけの無意味な日々を送っていた。
生きたかったろう、あなたの分まで。あの日飛ぶという選択をせざるを得なかったあなたの分まで。わたしは、生きなきゃ。
目を覚ましたとき、おじい様の姿はなくて、おじい様が施した結界も、術式も、すべてが解除されていた。
そこにあったのはただの夜。月があって、星の微かな瞬きが届く、ありふれた夜。
(…夢を見ていた気がする。姉が、いた気がする。よくは思い出せないけれど……)
静かな夜。それはもしかしたらおじい様が敗れたという事実を示すのかもしれないと考えて、自分の都合いい解釈をしようとしていることに少しの落胆を覚える。
だけどそれも、倒れているノアを認めた瞬間、どうでもいいこととして思考から弾き出した。
「ノアッ」
慌てて駆け寄って手首の脈に指を当てる。
頭の中をめぐるのは最悪の想像。わたしが知らない間にノアが傷ついて、死んでしまう、そんな未来。
(……大丈夫。息はしてる。気を失っているだけ………)
そうわかって心からほっとして、寒さを覚えて腕をさする。ノアは無事だったのにどうして。
見下ろせば何一つ着ていない自分がいて口から変な声が出た。慌てて血でできた赤い服を着る。
意識が完全に途切れていたから、血術によって記憶させている服も、解けてしまったんだ。
でも、どうしてわたしは意識を失くしていたんだろう。わたしだけでなく、シリルも寝たままだ。それに……。
ノアの隣で小さくなったまま動かない金色の竜にそろりと目を向ける。
おじい様はこの竜を欲しがっていた。
だけど、おじい様が消えて、竜が残っている。ということは、やっぱり、おじい様が敗者として消されてしまったんじゃないだろうか…?
わたしだけが目覚めているその場所で、どうしたらいいのか、をすごく考えた。
自発的な行動は苦手だ。ずっと人形として命令されるがままに生きてきたから、自分から動く、考える、ということは、苦手だ。
(わたしは、戦う理由がなくなってしまった…)
おじい様がいないということは、そういうことだ。
わかっていたことだけど。わたしはもうシリルと敵対したくない。ノアのことを傷つけたくない。竜のことも、どうでもいい。
おじい様に言われて従っていただけで、わたし自身、竜をどうこうしたいとか、しようとか、思えない。
ノアに寄り添って小さく丸くなっているこの生き物は、彼にとって大切なようだから。
彼が大切にするものなら、わたしも大切にしたい。
丸くなっている竜はわたしと話をする気はなさそうだったので、この場で頼れるだろうシリルのもとへ行ってしゃがみ込む。倒れている彼にそっと手を伸ばして肩を揺らすと、獣のように目を見開いて手にしたナイフをわたしの首筋に押し当ててきた。
冷たい刃が肌に触れる感触に抵抗はしない。わたしにはもうその意志はないから。
「じじいは」
「わかりません」
「ハァ?」
剣呑な雰囲気のシリルに、わたしは素直にわかっていることを伝える。「わたしもさっき目を覚ましました。おじい様は、そのときにはもういませんでした」プツ、と首の薄皮が切れた感触がした。それでも動かない。わたしに信用がないのは当然だから、シリルの気が済むようにしてくれればいい。
ただ、シリルが気にしているだろうことを伝えるために「ノアとドラゴンはあちらです」と一人と一匹がいる方を指すと、彼はあっさり刃を引いて行ってしまった。
少しヒリヒリする首に指をやって撫でる。
…傷は塞げないけれど、血のコントロールはわたしの得意分野だ。止血しておこう。
わたしは、シリルがわたしを警戒していることを踏まえ、あまり近づきすぎないように二人と一匹のもとへ行った。
彼は怪訝そうな顔で周囲を警戒していたけれど、金の竜がわずかに首を持ち上げると意識をそちらに戻す。
「何があった?」
もし、おじい様の行方を知っている誰かがいるのなら、それは竜以外いないだろうとわたしも思っていた。直前までおじい様と相対していたなら何か知っているかもしれない。
けれどわたしたちの視線を受けても金の竜は応えず『長居を、しました。ここを離れましょう』とこぼし、ノアのことを小さな爪でつついた。それで目を覚ましたノアがぼんやりした顔で瞬きを繰り返し、慌てたように竜を抱え上げる。
「あれ、また小さい? どうして」
『…帰りましょう。ノア』
金の竜はただ帰還を促すのみで、何があったのかを語ろうとはしなかった。
シリルは竜から話を聞くのを早々に諦めたのか、あちこち破けたコートのポケットに手を突っ込むと「帰るぞ」ぼやくように言って歩き出している。「ちょっと、待って」スウェットにコートのノアが続こうとして、上着の内側に竜を入れながら、彼はわたしを振り返る。
「リリー」
わたしを呼ぶ彼の声に、緊張で肩が震える。シリルにナイフを突きつけられても怖くはなかったのに。
命令とはいえ、わたしは彼を危険な目に合わせた。それは事実だ。
きっと怒られる。そう思って硬くなるわたしに差し出される手。「…?」どういう意味かと窺うと、わたしの知っているやわらかい表情の彼がいる。
「帰ろう」
「帰る……?」
「喫茶店ドラゴンへ」
………思い出すのは、一週間だけ過ごした穏やかな日々の記憶。
初めての給仕。初めての接客。慣れない笑顔の練習会。ノアのコーヒーの味に、シリルのアップルパイの甘酸っぱいおいしさ。
ノアは、優しい。そのことは知っているつもりだったけれど。
「わたし、帰っても、いいんですか…?」
声が震えた。視界が滲んだ。
縋るために差し出したわたしの手を、ノアはしっかりと握ってくれた。
ノアのコートの内側にいる竜は何も言わず、シリルも溜息を吐いただけでわたしのことを否定はしなかった。
ごめんなさいと謝りながら縋るわたしに、ノアは優しくしてくれた。わたしを責めず、わたしを怒らず、自分勝手に泣くわたしの頭を不器用に撫でてくれた。
こうしてわたしは、『リリー』は、人形ではなく人として、喫茶店ドラゴンへ帰ることになったのだ。
23話め!
ドールことリリーは人として生きることを選び、ノアの喫茶店の一員へ。おめでとうリリー!
これで一章はおしまいです
次からはまた新しい登場人物が増える章となります( ´ ▽ ` )ノ
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