21.巻き戻れ、時間

 

 

 視界の端で金色が煌めいた。
 金の竜は、クソジジイを己の敵と定め排除にかかった。
 小さな金色の体から溢れ出る光は己を取り込もうとする『呪』が刻まれた黒結界を押し返し、四方八方から襲い掛かる獣とも虫とも称しがたい何かを光の中に取り込み、影も闇も、すべてを光で染め上げていく。
 あの竜は、これまで食べて寝てを繰り返し回復したすべての力を使ってでもあのジジイを滅すると決めた。
 夜の闇が金色の光に焼かれ、圧倒的劣勢だが、ジジイは冷静だった。
 ピン、とジジイの服からボタンが飛んだ。強化魔術か、ルーンか、何かしらの術で強化されたボタンは銃弾のような速度と威力でノアの喉元を狙って飛ぶ。
 その一瞬、竜の意識は確かに逸れて、ノアのことを気遣うように蒼い瞳がこちらを見た。
 リリーのナイフをナイフで弾き返し、軋む体を無視して可能な限りの速度でノアのいる檻を庇って右の翼を広げ、神速で飛んだボタンという弾丸を受ける。
 オレはまだ未熟だ。魔法を使うようになって日も浅い。弾け飛んだ翼を前にして『飛べる』という暗示を自分にかけられない。翼がなくなっても『自分が飛べる』と思い込めない。
 物理的に翼で飛んでるわけじゃないと頭で理解はしているが、『飛ぶための翼がなくなった』という視覚的情報が脳に食い込んでしまう。
 檻にぶつかって地面に足をつける破目になったオレにノアの手が触れてきた。「シリル、」「なんでもねぇよ」言いながら、コートのポケットから歪な形の瓶を抜いてノアの手に押し付け、ついでに爪をカッターのようにしてノアの手錠の鎖だけでも切ってやる。
 それは、あの竜が祝福の光を込めた瓶だ。
 オレの手では曇った輝きしかしなかったが、ノアに渡ったとたん溢れんばかりの光が宿っている。
 お前が善良な人間である限り、その光はお前を助けるだろう。ないよりマシなお守りみたいなものだ。

「姿勢を低くしてろ」

 この異様な世界に囲まれてノアの顔色は良くなかったが、怪我はなさそうだ。
 心配そうにこっちを見上げる顔に「いいから伏せてろ」と言い、空中に浮いたまま無表情にこっちを見下ろすリリーを睨む。
 この場所はあらゆる『呪』の力で満ちている。吸う空気も、踏みしめる土も、すべてに呪いの力がこもっている。
 今はほとんどの呪いが竜に向いているはずだが、気紛れにノアやオレの喉を掻き切るかもしれない。そうなればあのお守りも長くはもたないだろう。
 圧倒的に、この場所で戦うのは不利だ。

(なるべく早く、ノアをここから連れ出さねぇと……)

 コイツが連れ去られてから半日以上経過してる。呪いが体に蓄積してるはずだ。さっさと洗浄しないと、何かしら悪影響が出る。呪いっていうのはそういうモノだ。
 オレとしても、あの左目のことを思い出すし、さっきから胃がむかむかする。こんな場所に長居はゴメンだ。

 

 

 

 

 クソジジイはあの手この手で竜を攻撃しながら、たまにノアを狙ってくる。それで竜の意識を乱し、取り入る隙を作るつもりなんだろう。……おかげでオレはノアの檻を離れることができない。そこにリリーの赤い弾丸まで混じればなおのことだ。
 地面から生えた黒い触手を作り出した剣でぶった斬り、生えてきた槍を斧で叩き折る。飛んできた赤い鳥にはナイフを投擲して落とす。忙しい。「クソっ」キリがねぇ。早いとこジジイを始末しないと。………ついでに、これまで世話んなった礼に一発ぶん殴っておきたい。
 せめてノアをここから動かせれば、安全な場所にやれれば、オレももう少し動けるんだが。
 そう思って血でできているような色をした檻に触れてみるが、魔力を込めたナイフ程度じゃビクともしなかった。「シリル、怪我が、」「オレのことはいい」防ぎ切れず掠って切った頬を見て心配そうに眉尻を下げるノアが阿呆だと思う。小さな怪我なんかいいんだよ。
 血でできたような赤い檻の鉄格子を掴み、強化した筋力で力任せに左右に引っぱると、少しは曲がった。このまま引っぱり続ければ人一人抜け出す分くらいならどうにかなりそうだ。
 だが、血の色をした檻も黙っちゃいない。
 ただの檻ならこれでおしまいだが、血の色…つまり、血でできた、リリーが作った檻だ。リリーの意志でどうとでも変形する。
 鳥籠のようだった檻は、オレの手を巻き込みながらキューブ状に変化した。舌打ちして手を抜くとその穴はすぐに埋まり、ノアは血色のキューブに完全に密閉されてしまう。

「ノアは、わたせません」
「……いい加減にしろよこの馬鹿野郎」

 無表情のまま指先をこちらに向けるリリーは、ドール、と呼ばれていたように、まさしく、人形のようだった。主人の命令を忠実にこなす自動人形。
 だが、人形然としているだけで、お前は人間だ。人形じゃない。

「オレもお前も汚れた人間だ。それが不本意であれ、不可抗力であれ、過ぎたもんは仕方ねぇ。オレもお前もその程度の人間だ。だが」

 バン、と血色のキューブを叩く。
 この中にいる人間は。ノアって男は。オレともお前とも違う、まだキレイで善良な人間だ。

「善意でお前を助け、善意でお前の面倒を見たノアを、裏切るな」

 ……ノアのような馬鹿正直な人間を知っている。
 人のことを是と肯定し、損なことでも笑って受け入れていた、そんな人間を二人知っている。
 そりゃあ馬鹿だと思ったさ。救いようがないと思ったさ。
 だが、善意溢れる人間のそばで生きることは、優しさに触れて生きることは、心地が良いものだった。
 その居心地の良さを知っているからこそ、オレはノアのナイトになったんだ。
 頭に中に両親の笑った顔が浮かんでいる。いつかのアパートでの風景。狭い部屋。恵まれているとは言い難い環境。それでも二人の間にいる小さな自分は笑っている。
 ザ、ザザ、とイメージにノイズが入り、両親の顔に映像が被った。
 ブロンドヘアの子供が二人。よく似た顔立ちでままごとをしている。陽だまりの中で向かい合う二人は鏡に映ったようにそっくりだ。
 片方が笑いかけると、片方も笑って返す。

「……っ」

 リリーの赤い翼がドロリと崩れ、なんとか形を取り戻す。その表情は苦悶に歪んでいる。
 意識していたわけじゃなかったが、オレの善良な記憶のイメージが魔法として伝播し、リリーの中の記憶を呼び起こしたらしい。
 なんてことのない風景だが、あいつにとってはかけがえのない光の記憶、なんだろう。
 背後でバチャリと水音がした。視線だけ投げると、ノアを囲っていたキューブの一部が崩れて血に戻っていた。そこからノアがそっと顔を出し、外に出てくる。
 ………リリーの血術の制御に乱れがある今がチャンスだ。
 不安定な翼に、リリーが地に足をつけ、そこめがけてナイフを投擲する、つもりだった。ノアが割って入らなければ。「シリル、駄目だ」両腕を広げて立ち塞がるノアに舌打ちする。「お前…ほんっと馬鹿だな」「なんとでも言ってくれ」「そこを退け」「絶対に退かない」ノアに庇われたリリーの表情はさらに歪んでいる。ノアには見えちゃいないが、今にも泣きそうだ。

(…このぶんならリリーは懐柔できるだろう。ノアが呼びかけ、説得すれば。あとはクソジジイさえなんとかできれば………)

 そう、結局はそこだ。
 クソジジイ。アレをどうするか。金の竜に執着しているあの妄執の塊をどうするか。
 ジジイを始末できなきゃ、この先、同じことが何度でも起こるだろう。人を変え、方法を変え、あの手この手でうっとうしいほどに仕掛けてくるはず。
 オレがそうして使い捨てられたように、血の繋がりがあろうがなかろうが、いずれリリーも使い捨てにされる。
 この場でジジイの息の根を止めることができるのが一番いい。その意見は金の竜と一致してる。問題はその方法だ。
 とにかく、まずリリーを説き伏せてこちら側に戻し、それからノアを安全な場所に移してオレは竜の加勢に回ろう。
 思考を打ち切ったとき、足元に魔法陣が浮かび上がった。オレだけじゃなく、ノアの足元にも、リリーの足元にも、ジジイを中心に複雑怪奇な紋様が広がっている。
 個人の力とは思えない大規模な魔法陣に一瞬思考が停止する。

(あの、クソジジイっ)

 せめてノアだけはと伸ばす手がなぜか短く、ピッタリのサイズで買ったはずのコートの袖が余っている。「あ? なんだこれ…」そうこぼす自分の声が高く、子供のものになっている。
 視界の中では、時間を遡るように小さくなっていったリリーがあっという間に赤ん坊になってその場に転がった。
 時間の逆行。
 ウソだろう。そんな魔術は、聞いたことが。
 どんどん縮んでコートに埋もれた視界を最後に、思考も意識もブッツリと断絶する。

 

 


 

 

21話めです!

おじいちゃんがノアを攫った理由はコレにあり!
想定していたより竜の力が回復していた場合に備え、準備をしていたんですね。狡猾だ。さてどうなる次回?

 

アリスの小説応援! にポチッとしてもらえると励みになります❤(ӦvӦ。)

 

 ブログランキング・にほんブログ村へ