7.つかの間の休息

 

 翌朝。
 一日出かけただけでよほど疲れたのか、いつもよりぐっすりと眠った僕は、いつもより少し遅い時間に起き出した。
 朝の八時半は、僕にとっては寝坊だ。特別予定があるわけではないけれど、規則正しい生活を崩さないよう心がけているのに。

「おはようございます」

 階下に下りて、カウンターの奥にある狭いスペースのキッチン&リビングに入ると、金色の小さな竜がテーブルの上にいた。『おはようございます』と返されて、なんとなく、口元が緩む。
 朝、何気ない挨拶を交わす相手がいる。それだけで朝から気持ちが上向く。
 顔を洗って目を覚ましたら、簡単に朝食の用意をして、コーヒーを淹れる。
 自分にはベーコンエッグサンド、竜にはオレンジの実。そしてコーヒー。
 テーブルに食事を並べながら、冷蔵庫の中を確認して端末に買い出しのメモもする。
 この冷蔵庫は古いタイプだから、中になんの食材が入っているのか自動でリストアップしてくれたりはしない。自分の目で見てチェックするしかない。「…フルーツがもう何もないか…」ぼやいて、端末でスーパーの売出し品をチェックする。…今日はフルーツの特売品はないようだけど、適当に何か買ってこよう。
 今日やるべきことは2つだ。
 1つは日常的なことで、食材の買い出し。
 もう1つは、揃えた登山装備を身に着けて、実際に動いてみること。
 皮ごとオレンジを食べている竜が、朝からテキパキと動く僕を首を傾げて見ている。

 

 

 僕はまず、そう時間はかからないだろう買い出しから終わらせることにした。
 満足そうな顔でコーヒーを口にしている彼女の食べたいもの、欲しいものなどを聞いて端末にメモし、スーパーが開店する時間になったら「一時間ほどで帰りますから」と告げて店を出た。
 この小さな町で唯一大きいスーパーで必要品の買い出しをすませ、電子マネーで会計をし、エコバッグに買ったものを詰め込んで、来た道を戻る。
 途中、見慣れない車とすれ違った。
 特徴のない。どこにでもあるシルバーの車体。それでも『見慣れない』と感じたのはなぜだろう。
 その違和感の正体を確かめたくて足を止めて振り返っても、シルバーの車は角を曲がってしまい、ナンバーを見る前に視界から消えた。
 感じた違和感の正体はなんなのかを考えながら、竜の待つ店へと帰宅する。
 お客さんの一人もいないがらんどうの店のソファ席で、竜はうたた寝していた。
 竜のいる場所にちょうど光が射し込んで、金色の鱗がキラキラと、まるで陽の光そのものみたいに輝いている。
 今では時代遅れとも言われるアンティークな調度品に囲まれ、陽光を受けて輝く竜。…おとぎ話の一場面のようだ。
 嘘みたいなその輝きを壊したくなくて、ただいまと声をかけるのはやめた。
 買ってきたものを冷蔵庫にしまったり、備品として補充したりしてエコバッグを空にして、一息つく。その頃にはすれ違った車に対する違和感のことも薄れていた。
 一仕事終えたあとの癖でコーヒーを淹れていると、においにつられて起き出したんだろう、竜が金糸の髪の女性の姿でキッチンにやってきた。そして、僕の姿を見てピタリと歩みを止める。「…? どうかしましたか?」その無表情が心持ち険しい気がして声をかけると、彼女はじっと僕を見つめたまま、こう言った。

「外で、何か、いつもと違うことが、ありましたか?」

 そう言われて、忘れかけていた違和感のことを思い出す。
 大したことでもない…とは思ったものの、違和感は違和感だ。だから、僕は感じた違和感について話した。

「帰り道に車とすれ違ったんです。よくある車体の。でも、そのときなぜか、違和感を感じて…。それがどうしてかはわからないんですけど。よくある車と色だったのに」

 彼女は考えるように視線を外に向けた。けれど、コーヒーができあがったのがわかると彼女の意識はコーヒーに移ったようだ。
 用意したカップにコーヒーを注ぐ。
 満足そうにコーヒーカップを傾けている彼女を見ていると、いつも不思議な気持ちになる。
 人間にとってコーヒーは嗜好品だ。好みで飲むもの。竜にとっても、コーヒーは好んで摂取するものになるのだろうか。そうでなければ、コーヒー一つでこれだけ満足そうにしている彼女が、竜がいる説明に困るけれど。
 おまけでつけたキャラメルビスケットをかじりながら、彼女は思い出したようにこう言った。「通り過ぎたものですから、気にしないでもいいでしょう」…それは、さっきの違和感の話の続き、だろうか。
 それきり彼女は口を閉ざしたので、僕もビスケットをかじってコーヒーを飲んだ。
 よくわからないけど、彼女が気にしてなくていいと言うなら、そうしよう。

 

 午前中は一応喫茶店を『OPEN』にしたものの、やはり、お客さんは来なかった。
 昼食のあと、僕はお店の入り口に『CLOSE』の看板をかけて、自室に上がって昨日用意した登山装備一式をベッドに並べてみた。
 家から持ち出してきた、学生時代よく着ていたウインドブレーカーの上下。捨てても問題ないバックパック。つばのある帽子。レインウェア。
 ロゴスで新しく用意したスニーカー、水筒、手袋、コンパス。缶切りから爪切りまでついた多目的ナイフ。シリルに強く勧められて買ってしまったクマ避けのスプレー。突然の雨に降られた場合を考えて、タオル、着替え、ビニール袋。
 スーパーで購入したエネルギー補給のための携帯食に、念のための非常食。帰りが遅くなった場合の懐中電灯。
 今後使うのか微妙な寝袋を買うのはためらってしまったので、かわりにアルミ製のブランケットを入れておく。
 初心者なんだし、とりあえずこれだけあればいいんじゃないだろうか。
 一人頷いて、バックパックに着るもの以外をしまってみた。問題なく入る。
 端末で『初心者のための登山』という適当なページをいくつか斜め読みして知識を頭に入れてみる。
 着替えて、一応、水筒には買ってきたポカリスエットを入れた。この重さもリュックに入れて背負ってみる。…これで歩くのか。重い、ってほどじゃないけど、身軽、とも言えないな。今日、試しに一時間くらい背負って歩いてみようか。
 登山装備一式を身に着けた僕を、金色の竜が見ている。気に入ったのか、スーパーで買ってきた有機果物のドライフルーツをかじっている。

「そういえば、聞いてませんでしたけど。山道を行って、あなたの呪いを解くには、僕は具体的に何をすればいいんですか?」

 プルーンをかじっていた竜が動きを止めた。それからまたプルーンをかじり始める。『呪いの種類を見てみなくては、呪いの解除方法もわからないのですが…。ポピュラーなものだと、私の一部を使ったものだと思います。間接的に、持ち主の私に影響を及ぼす呪い』「一部、って…」言葉をなくした僕に、竜はプルーンをかじりながら淡々と言う。

『昔、人とケンカをしたことがあったのです。そのときに、爪と、鱗と、羽根を一枚なくしました。
 それらを合わせると、私によく似た人形が作れることでしょう。
 おそらく、この呪いは、私に見立てた人形を媒介に、私に呪いが流れ込むようになっている…』
「それは…呪術師でも、魔術師でもない、一般人の僕に、解呪できることなんですか…?」

 不安になった僕に、竜はこっくりと頷いた。『然るべき手段と、然るべき道具があれば、大丈夫です。それは、私が用意できます』「…呪いってそういうもの、なんですね」そういったことはよくわからない僕は曖昧に頷いた。
 必要なものは竜が用意してくれる。僕は指示に従って山を登って、その人形とやらを破壊すればいい。そういうことだろう。それならできる気がする。

(できる気がする、じゃない。僕がやるんだ)

 僕にささやかな幸せをくれた金色の竜に、感謝の気持ちを返さなくちゃ。

 

 


 

 

気付けば随分と久しぶりな更新です(;´Д`)

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