6.帰宅

 

 

 人のいない閑散とした田舎駅に列車が滑り込んだのを見て、荷物を持って席を立つ。
 忘れ物はないかを今一度確認して、プシュ、と開いたドアから外に出て、片手で携帯端末を操作した。降車手続きをすませて電子マネーで支払いをしておく。
 プシュ、と背後で列車のドアが閉まり、僕以外誰も降りることのなかった列車は、次の駅目指して走り出す。
 すでに日が沈み始めたホームに風が吹き込んで髪をさらっていく。
 もう夜になる。帰って、まずは夕飯を適当に食べないといけない。ロンドンを出る前に軽食をつまんだとはいえ、このまま寝るまで何も食べないでいられるほど満たされたわけでもない。
 駅を出る前、そういえば、と振り返って視線を巡らせてみたけど、行きに見かけたおじいさんの姿はなかった。…夜になる前にあたたかい場所へ移動したならいいんだけど。
 荷物を背負い直して、木々の向こうに日が落ちていくのを見ながら帰路を辿る。
 十分ほど歩けば、ぼんやりと薄闇に沈み始めたレトロな喫茶店『ドラゴン』が見えてきて…そして、喫茶店の扉の前には、白いワンピースに金糸のような金髪を揺らす女性の姿。
 彼女の姿を見て、僕の足は一瞬止まる。
 ……最近ずっと一人だったから。一人でいることの方が圧倒的に多かったから。その孤独に、慣れていたつもりでいたけど。そんなことはなかったんだなって、思い知る。
 誰かがそこにいることが。ただそこにいる、それだけで。心はじんわりとあたたかくなる。

「ノア」

 名前を呼ばれて、あたたかさに光が灯る。
 熱くなりかけた目頭を意識してぐっと強く瞼を閉じて、目を開けて、僕は笑顔を作った。「遅くなってすみません。戻りました」そう言うと、女性は無表情に一つ頷いて、「おかえりなさい」と言ってくれた。
 ただそれだけの言葉が、でも、とても嬉しかった。

 

 

 冷たい風から逃げるように店内に入り、明かりをつけた。レトロな電球が明滅しながら橙色の光を灯して、いつもと一つも変わらない風景で僕を出迎える。
 今日はいろいろな音を絶え間なく耳に入れていたせいか、アナログ時計の秒針が時を刻む音がやけに懐かしい。
 広めのソファ席に荷物を下ろして、自分も腰を下ろして背もたれに背中を預けた。
 シリルには体力作りとして趣味を始めるんだと嘘をついたけど、本当に、スポーツの趣味を始めた方がいいかもしれない。一日遠出しただけでこんなに疲れているなんて。
 女性の姿から竜の姿に戻った彼女は、僕の大荷物を興味深そうに眺めている。

『準備は、できましたか?』
「一応、最低限の装備は揃えました。明日試しに身につけて出歩いてみて、本番に臨もうと思ってます」

 ぶっつけ本番、というのが僕は好きじゃない。それで成功するのは幸運の持ち主か天性の持ち主かに決まっている。
 僕はそのどちらも持ち合わせていない凡人だ。悲しいけれど、凡人は、凡人なりのやり方で事に臨むのが堅実なのだ。
 慣れない外出に体は疲れていたけど、鞭打って立ち上がり、冷蔵庫から作り置きのハムとレタスのサンドイッチを出す。それからコーヒーを淹れようとやかんにお湯を入れて、考えて、二人分にした。

「コーヒー、飲みますか?」

 僕が買ってきたロゴスの袋を眺めている竜に確認すると、こっくり、と頷いて返された。
 二人分の白いカップを並べ、二人分の豆をミルで砕きながら、そういえば、僕は彼女の名前も知らないんだな、とふと気づく。訊くタイミングを完全に逃してしまった気がしないでもない。
 今日立ち寄った喫茶店でコーヒーを淹れていた店主の老人を思い起こしながらコーヒーを淹れ、白いワンピースに金糸を垂らす女性の姿になった彼女の前にコーヒーカップを置く。
 レトロな店内に不思議と溶け込む彼女の姿は、やっぱり非現実的で、まるで幻みたいだ。
 そんなことを考えながら、僕はコーヒーにミルクをたっぷり入れた。
 もう夜だし、今日は早めに寝るつもりだから、やわらかい味にしておこうと思ったのだ。
 ソファ席に座り直してサンドイッチをつまんでいると、青い瞳がじっとサンドイッチを追いかけていることに気づいた。

(…もしかして、お腹が空いているんだろうか?)

 そう気づいて、「食べます?」とサンドイッチの皿をテーブルの中央に押しやると、彼女の白い手が伸びてサンドイッチをつまんだ。ぱく、と一口かじると、彼女は軽く目を見開き、ぱくぱくと早口にサンドイッチを平らげていく。
 そういえば、竜は、何を食べて生きるものなんだろう。絵本やゲームの中じゃ動物ならなんでも食べるイメージのある竜だけど、実際問題、現代だと何を食べて生きているんだろうか。
 野生の動物以外、家畜に手を出したらその存在が割れることに繋がる。
 だけど、僕が実際この目にするまで竜という存在に気づけなかったように、彼らはそんな愚かなことはしていない。身を隠しながら生きている。
 野生の動物なんて今ではもうかなり数が減っている。国立公園とか、自然保護区とか、動物で溢れるそういった場所の生態系は監視されているし…。彼らは一体何を食べて生きているんだろうか?

「普段は何を食べているんですか?」

 興味本位で訊ねた僕に、サンドイッチを平らげた彼女は首を傾げた。「わたしは、木の実が好きです」「木の実…」草食、ということだろうか。体の小さな金色の竜が木の実を食べている姿は、それはそれで似合っているけれど。
 思い当たって、再び冷蔵庫の扉を開けた僕は、食べなければと思っていたバナナを持っていった。木の実ではないけど、フルーツは自然の実ではあるはず。
 食べごろのサインである茶色い斑点のあるバナナを「これ、よかったら」とサンドイッチのあった皿に置くと、彼女は迷わず手に取った。慣れた手付きでバナナの皮を剥いていく。

「あの…明日から、ご飯、用意しましょうか?」

 竜にだって食べるものが必要だ。
 今更といえば今更なことに気づいた僕はそう申し出た。むしろ、今までそんなことにも気づけなかった自分が恥ずかしい。
 そんな僕に、バナナを頬張りながら彼女は首を傾げてみせる。「人間が食べるものの基準での用意にはなりますけど…フルーツとかはスーパーにもありますから」ごくん、とバナナを飲み込んだ彼女が「よいのですか?」と言うので、僕は頷いた。
 僕の孤独を和らげてくれた彼女に、何かを返したかった。
 それがご飯の用意なら、喜んでそうしよう。

 

 


 

 

6話め! また一ヶ月以上…むしろ二ヶ月たってますね…。間隔あきすぎ(´・ω・`)
気が向いたらまた書きにきます~

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