2.竜のさがしもの
カチ、コチ、とアナログ時計が静かに時を刻む音に、年季の入った丸テーブルとチェア。
ブラウン管のテレビからはノイズ混じりのサッカー中継が流れる、時代に取り残されたような、寂れた喫茶店。
少しでも人が入りやすいように、と開け放ったままの扉からやってくるのは少し冷たいと感じる風だけで、僕はいつも、孤独の中で白いコーヒーカップを磨いている。
こうなるかもしれないと覚悟しながらこの道を選んだ僕の今に後悔はないけれど、おじいちゃんに合わせる顔がないな、と思う。
父にも母にも、会えば小言を言われるだろうけど、それよりも、おじいちゃんのことがまともに見れないな、なんて考える。
かつては賑わっていた店が、僕が継いだとたんに閑古鳥なのだから。この店の様子を見たらおじいちゃんはきっと悲しむ。
『お店は、任せて。僕が継ぐから』
祖父の最期に涙に滲む視界を堪えながら、震える声を絞り出してそう言った僕に。祖父は満足そうに口元を緩め、安堵の息を吐くように一つ吐息して、それきり、もう二度と息をすることはなかった。
その祖父の店で、祖父に伝えたとおりに店を継いで、一年がたった。
今僕の目の前には、太陽の光のようなあたたかさを持つ、金色の竜がいる。
『力を、貸していただきたいのです』
四対のガラスのような羽根を羽ばたかせながら、竜は僕の目線まで浮上すると、パチリ、と蒼い瞳を瞬かせた。
突然の出来事、というにも本当に突然すぎる展開に、僕の頭はかなり混乱していた。
白いワンピースを着た金髪の女性がいた。ついさっきまでそこにいたのだ。それが、竜になった。瞬く間に人の輪郭が溶け、竜になったのだ。この目を信じるならそう見えたことは事実は間違いない。
混乱していたせいだろうか。
僕が金色の竜を見て最初に思ったことは、小さいな、だった。
もっと他に色々疑問に思うべき点や気にすべきところがあるのに、猫みたいに小さな竜なんだな、と思い、落としそうになってキャッチしたカップを手に、少しの間ぼんやりと金色の竜を見つめた。
そこだけ見つめていれば、目の前の竜はよくできたゲームのキャラクターのようにも見えた。
または、大きな遊園地のファンシーな施設で来場客を案内するAIロボット。
僕は遊園地なんか行ったことはないけど、今の技術があれば、こういうロボットだって精巧な出来上がりになっているのかも。
『ノア』
「、はい」
呼ばれて我に返る僕に、竜は小首を傾げた。『そう、ノア。おじいさんがかわいい孫がいると話していました。あなたが、ノア』「…そうです」慎重に返事をした僕に、竜は反対側に首を傾げた。
…目の前の存在は、ゲームの投影キャラクターでもなければ、遊園地のAIロボットでもない。
とりあえず、僕は深呼吸をした。
どことなく埃っぽい空気のにおい。アナログの秒針が時を刻む音。アナログなテレビがノイズ混じりに吐き出すサッカー中継。
すべていつもと同じだ。
僕の視界の真ん中にいる金色の竜だけがこの空間から奇妙に浮き出ている。
いや。もしかしたら、この空間から浮いているのは僕なのかもしれない。
ここはとても古い時代の喫茶店か、あるいは絵本の中で、僕はここに迷い込んだ人間なのかもしれない。
そんなことを思うくらいには、アンティークな品々の溢れる喫茶店で、金色の竜は自然に存在していた。まるで物語の挿絵が現実になったようだ。
『ノア』
再度呼ばれて、僕はまた現実に立ち返る。「はい」手にしたままのカップをとりあえずカウンターに置く。不意なことに驚いて、また落とすといけないから。
心配するのが自分のことよりコーヒーカップだなんて、なんだかおかしな話だけど。
ただの白いコーヒーカップ。それでもそれは祖父が大事に使い続けたもので、僕が不用意に壊したりしてはいけないのだ。
金色の竜は僕が毎日磨いているカウンターの上に乗ると、下から僕を見上げてきた。
『お願いがあるのです』
「そうでしたね。ええと…なんでしょうか。僕はただの人間なので、できることに限りがありますが…」
おじいちゃんの常連のお客さんだ。どんな形での出会いであれ、たとえ人ではない相手でも、礼儀は尽くすべきだろう。今のところ、邪険にする理由もない。
近くで見るとやはり猫くらいだなと感じる小さな竜は、自分の姿を気にするように首を伸ばして背中や尾をチェックしている。その姿に何をしているんだろうと思いながら、僕は竜を観察した。
(どれだけ時代を経ても、不思議なことというのはあるんだな)
ぼんやりと、そんなことを思う。
竜はじっと自分の体のあちこちを見つめたあと、僕へと小さな顔を戻した。『探していただきたいものが、あるのです』「探す…?」『はい』はぁ、と相槌を打つ。落とし物か、失くし物か。僕で力になれることならいいけれど。
具体的に何を探せばよいのか訊ねた僕に、金色の竜はこう言った。
『この体は、どんどん小さくなっています。おじいさんがいた頃は、この倍はあったのに』
「…? どうして小さくなったんです?」
『呪いに抗うだけの力が、今の私にないためです。私の力は失われ続けている』
呪い。
その言葉に少しの寒気を感じてシャツの腕をさすった。「呪い…?」口にすると、また寒気を感じた。
科学がどこまで進んでも解明できない謎というのは確かに世界中に存在していて、僕の目の前にいる竜もその一つだろう。
竜が口にする『呪い』という言葉には言いようのない現実味があった。
夢のような存在が口にする夢のような言葉は、夢の世界ではきっと現実なのだ。
おじいちゃんが現役だった頃は犬ほどの大きさはあったという竜は、小さな頭を垂れた。その蒼い瞳に涙は見られなかったけれど、その姿に、なんだか今にも泣いてしまいそうだな、と思う。
『この呪いは、人の手でなければ解呪できないのです。私や、我々という存在の力をすべて弾くようにできている』
「それなら、祖父が元気だった頃に頼めばよかったんじゃ…?」
そうこぼした僕に、竜は頭を振った。『険しい山道を行くことになります。おじいさんでは、荷が重すぎる』そう言われて、そうか、と納得する。確かに祖父は足を悪くしていた。僕が成人する頃には杖が手放せない人になっていた。そんな人に山に登れとは僕も言えない。
聞いてみたところ、竜の話には筋が通っている。不自然な部分はない。
(話をまとめると……この竜は僕に『呪い』を解いてほしいのか。僕が一般人だと知ってそう頼むのなら、それは僕にも解くことのできるモノってことか、何かしらの可能性を見ている、ってことか…)
再び顔を上げてこちらを見上げた小さな金色の竜に、僕は「いいですよ。手伝います」と言葉を返し、今できる精一杯の笑顔を浮かべた。
今のところ、僕にはこの竜の願いを叶えない理由がない。
だから、ではないけど、おじいちゃんが妖精と呼んだ喫茶店の常連客であるこの竜の手助けをしようと思う。
2話め! 気が向いたらまた書きます!
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